tiefe Waſſer ſind nicht ſtill
最近、めちゃめちゃな雨が降っていました。遠くの人のジェット気流だかポールシフトだかの「地球のサイクルが偏っている」関係で、雨が一部に集まりすぎてしまい、ある地域は豪雨の水害、またある地域は干ばつ、そんな天候です。
しかし何だか、腹がたつ雨です。なんだか、雨を通して、水を通して、遠くの人の感情が「降ってきている」かのようです。
水というものは占星術では属性として「同化」を意味します。魚座、蟹座、蠍座は水属性です。その3つは、いずれも「相手の心を知る」とか「感情の深淵」みたいな意味があります。風属性の推論や土属性の鍛錬とはまた違った「知る方法」である霊感にも強く縁があります。
そんな感じですが、上述のニュースでは、水というものがDNAを再現している的なことが書いてありますね。人間の体内も7割だかも水分です。
相手の感情を知れるというのは、相手が本当にそう思っているかどうかが究極的に実証できない、根拠がないことです。しいていえば、自分が相手にならなければわからないことです。もっといえば、自分がもしも相手になったとして、相手が自分になっているということをどう実証するのか…とかいいだしたら、科学哲学のパラドックスのように、永遠に答えは出ません。
なので、ある時点で思考をやめて、「相手はこう思っている」と論理の飛躍を起こします。そういうことを人間は日常的に繰り返しています。しかし実際に、「相手が思っていることがわかる」というのは、水の力かもしれません。
相手のDNAに接近することで自分のDNAと情報交換・相互再現している水の力、その経験値によっては「相手の心がわかる」ということは、案外無根拠なものでもないのかもしれません。そして場合によっては人の感情が雨や水とかに運ばれていることすら…?
水素は、確か原子核のなかでは本来陽子・中性子の「2つセット」であるはずの中性子がないとかあったきがします。細かいことはあまり知らないですが、とても象徴的です。
2がない、男女がない、「無性的」ということでしょうか。ドイツ語では、水は中性名詞です。「何にでもなれる」のかもしれません。そして、それぞれに簡単に同化してしまう。
人間は水なしでは生きられません。餓死しようとしても、空腹より喉の渇きのほうが先に来るそうです。
水の本質は「同化」。同化し、相手の情報を、相手の経験を、得ること。すなわち「情報交換」みたいなのなしでは生きられないということかもしれません。成長は、テーゼ(自分の意見)とアンチテーゼ(他者の違う意見)が「同化」し、「情報交換」し、「対立構造を最適化」するということで生まれるジンテーゼ(結論)を通して行われます。哲学でいうアウフヘーベン(拾ったり、捨てたり)ですね。
まだちゃんと読んでませんが、こんな記事もありました。
記憶というものが、どこにあるのか。DNAのなかなのか、それとも「水」にあるとしたら、水の星であるこの地球はあまねく連鎖反応的に「記憶」に満ちているのかもしれません。
そこにまたは量子テレポーテーション、量子もつれだとか、多世界解釈だとか考えだすと、「水の記憶」の共有範囲は距離と時間に制限されず、すでに死んでしまった人の「記憶」、生まれなかった人の「記憶」、またはプラトンの言うイデア界の産物、現実的には創作物の話やキャラといった非現実の「記憶」ですら、水の特性を通して、実在のものに思えてきてしまうほどです。
タイトルはラムシュタインの曲の歌詞より。tiefe wasser sind nicht still (深いところにある水の流れはゆるやかなものではない) 大学生の頃、この曲ばっかり聞いてました。PVをyoutubeで見ていて、ボーカルのティル・リンデマンがタカアンドトシに見えるとよく思っていた。ラムシュタインでドイツ語に触れると語彙がやばいやつに偏ります。「中2病っぽい単語で習うドイツ語」とかやってもおんなじようなことが起きるかもしれませんが。
sは昔のドイツの文字であるフラクトゥーアだとſと記します。ユニコードであったので使ってみました。ドイツ語のss, ß エスツェットは、ſとs(またはz,з)だからßなんです。
普通に読んでいて、このsはf(エフ)と見間違えやすいです。ナチス時代までの近代ドイツの本はフラクトゥーアで印刷されていて、めっちゃまぎらわしいです。ナチスの時代に廃止されたと聞いたことがあります。
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