消えそうで消えない
占星術の教科書のひとつはギリシア神話である。それぞれの星と星座の性質はギリシア神話に書いてあるといっていい。大学で西洋古典学をやって特にギリシア語とギリシア文学の先生に教えてもらったりすると、ギリシア神話もやがて口承文芸論にもたどり着く。
そしてユングやジョセフ・キャンベル的な結論でもあるが、ある種の神話のもつ元型にまでたどり着く。星座や星とはある種のアーキタイプなのである。ユングの言う集合的無意識のアーキタイプのひとつひとつなのである。そしてそれがギリシア神話の神々ひとりひとりの性格や逸話のなかに隠れている。
同じくバーゼルの西洋古典学者だったニーチェが「ツァラトゥストラは、金星のことを意味すると、最近初めて知りました」とか書いていた書簡があったと思う。占星術ってのは、そういうもんだと思う。
そこで言えば、ギリシア神話としての占星術という意味では、海王星について思うことがある。海王星は英語でネプチューンなので、ギリシア神話で言えばポセイドンなのだが、占星術家が海王星に持たせる意味は、ポセイドンというよりもディオニュソスがとても近いと思う。
ポセイドンという名前もとても不思議である。ギリシア語でポントス(海、黒海)のようでもあるし、プサリ(魚)の意味のようでもある、そして何よりプセウド(偽り、騙し)という言葉がものすごく近い。すなわち、ポセイドンとは虚偽の姿なのだろうか。海王星は、確かに騙しや虚偽も意味する。そして、ポセイドンとは世を忍ぶ仮の姿で、その正体はディオニュソスなのだろうか。
ディオニュソスは酒の神である。なので海王星は酒の星である。
お酒が飲めないという人にとても興味がある。自分もそれに入るが、その人はとても海王星の祝福を受けているようにも思えるからである。それは祝福だろうか?自分にはそう思えて仕方ない。酒アレルギーで、ハラールフードと言われると安心できるくらいの自分は、自分と同じような性質の人に親近感を感じる。親近感を感じるが、おそらくその相手は似ていない。似ていないけど、親近感はとてもある。それが海王星。
というのも、酒を飲めない人は「ディオニュソス信徒」かもしれないからである。そういうアーキタイプかもしれないからである。その人は、ギリシア・ローマにとても縁がある魂だろう。自分のギリシア語の先生が、お酒が全く飲めなかった。それでもって生肉を食べるのが大好きだと言っていた。なのでお酒も飲まずに尿道結石を2度やっただとか、体が色々やばいようだった。どう考えてもそれはディオニュソス信徒以外の何物でもない気がする。
私はおそらく、過去生で酒を飲みすぎたので、今世では別に飲めないし飲みたくもないのかもしれない。自分の海王星ICがギリシアにあります。なので、過去生にギリシア・ローマが含まれると勝手に思い込んでいる。大学の頃勉強していたことも、西洋占星術の縁も、全部ここからきていると。
しかし個人的には自分の周りのひとたちは「エジプト」に魂的に縁がある人が多くいるように思える。魂においてギリシア人の自分も、そのプロジェクトの一部のような気もする。
赤い公園の曲の歌詞から。
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