最終幻想


 自分を認められない人は、人に認めてもらうために、他者を攻撃する。他者を攻撃することで、自分の優位性を確立できるから。


 けれども、この世はプログラミングみたいなもので、虚数時間だけの空間から、実数時間だけをつなぎ合わせた生命の正体でもある、利己的遺伝子、遺伝子の目的を作成する存在は、集合的無意識みたいなもの。簡単に言えば、要はこの世は「」にすぎない。

 空をあれこれ分類する必要もない。「私は誰か?」そこには、何も残らない。すなわち、この世は空である。私は空である。本来は時間的因果なんてないかもしれない、ばらばらになった一瞬一瞬を、ひとつひとつつなげて「私」を作成しているだけ。


 そのような世界の前に、どんな映画も、どんな悲劇も、無力だ。今は、悲劇をつくり、そこから逃れる方法を提示し、二元化、二極化、対立、それでより「この映画は現実だ」という催眠を深めようとする。

 そして、その波長に共鳴した人が、「自分を認めてもらうために、他者を攻撃する」。「他者を攻撃することで、自分の優位性を確立できるから」。

 この世の正体がわかった者にとってはそれは、もう「目の前のスクリーンに流れている映像」にすぎない。映画の登場人物が、映画の登場人物を侮辱する。けれども、私はもう、映画の登場人物ではない。感情移入できなくなったら、映画はおしまいだからだ。


 映画の登場人物は、私に対して、何度も働きかける「これでも、これでも、お前は映画の中に感情移入しないか?」。出来過ぎなくらい酷いお話は、むしろ、人の目を醒させてしまうものだ。

ᚠᛚᚪᚵᛋ ᚠᛚᚪᛪ ᚠᛟᛞᛞᛖᚱ ᚠᚱᛁᚵ

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