isolante
生物、もとい人体の仕組み、薬学、栄養学、それらは勉強して本当に良かったと思う。独学で、それ関連の本やネットニュースサイト、コラムなんかを、たくさん読むだけでその業界の用語、思考、パターンに慣れることを「その分野を知る」ことだと思う。
語学で言えば、暗記でも論理でもなく「その言語の雰囲気に慣れること」がその言語の習得だと言える。それと同じことが、科学にも言えるだろう。
学校の勉強と違って、暗記もテストも必要ないので、知りたいことだけ知れる。(学校の勉強はむしろ、学問のなかでも生活に役に立たない部分をいかに知っているかで競い合って点数をとるものなので…。)
↑↑の動画は、ネット講座の宣伝だが、なんか映画や漫画のサブスクみたいに、学びの場のサブスクみたいなんがあってもいいよな、とか思った。
科学リテラシーは本当に重要だと思う。同時に、科学リテラシーの低さは、むしろ人の行動の支配を容易にするという意味で…そういう使い方も当然あるだろう。
「私には、科学を理解できない」と思い込んでいる人は、学校の理科の授業とテストの記憶が念頭に置かれているのだろう。それは前述の「リテラシーのない人は、都合よく支配しやすいから」の教育の結果のだろうが、自分で不可能だと決めつけている人に行動変容は起こしようがない。
また、学校のテストと科学は全く範囲の違う世界なのだが、偏差値とか狂戦士的な勝負事にばかり気を取られ、それも理解できないのなら、同じく行動変容は起こしようがない。
これらが究極的には科学リテラシーを左右するが…例えばこれらを理解できない宿命の人、それは知能とか洗脳状態とかではなく、もう「運命、カルマ、宿命」といった方がいいものだと個人的には感じる。
とはいえ、このような思考状態の人が大多数になるように、計画され、そう望まれてつくられた世界の比重なのだ。
その人の運命は、その人が時空を超えた存在として望んだものだとしたら、そこにはもう善悪はない。そこに善悪を求める思考は、「学び」の逆の態度であり、「理解」から遠ざかり「催眠」に入って行く過程を意味する。すなわち、映画に熱中するためにはまずはその映画を現実だと催眠しなければならない。その時、善悪がその映画にあると、感情移入しやすくて、催眠は容易になるということ。
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