Nayuta Tage
1年が長すぎる。時間はもはや今や物理的現象ではなく、生物学的現象なので、時計遺伝子の刻むリズムは、個々人で違うかもしれない。でも、呼吸が抑制された世界で、時間が早いわけがない。2021という数字は、はるか昔に思えてくる。
三年。2019は何かもう違う世界のような感じがする。消えて行きそうなくらいに遠い時代だ。
そして、来年3月まで、あと4ヶ月半。
去年の今頃は、ちょうど来年の今くらいをゴールだと思っていた。けれども、ゴールをさらに四ヶ月くらい引き伸ばされた感じ。でも、ようやくここまで、駒を進められた。ようやくここまできた、けれども、まだあと4ヵ月半とか、それだけ時間がある。冬眠でもできるものなら、3月まで、してたいものだが。
今のこの世の中は、冗談抜きでもう全て、社会から家の中まで、「空の自覚」を促すために起きているとしか思えない。空の自覚とは悟りとも呼べるだろう。
ある事項を見て、人は普通、改良しようとする。でも今からの時代は、軌道修正ではなく、軌道から抜け出すことを促してくる。
ある不正義があるとして、それを正義に変えるために、人の中に情念が生まれる。でもその情念のために人は苦しむ。情念を発生させないことは難しい。生命の原理だから。
今は、世界中が情念増幅の電子レンジの中にいるみたいで、それは同時に正義不正義の増幅の電子レンジのなかでもある。みなその情念に破裂しそうで、情念をぶつけ合う。情念のあまりに大きさに、「私は誰なのだ?」とすら思ってしまう。
言葉のひとつひとつには、意味がある。意味を理解することで、私たちに情念が生まれる。でもニュースも人の言葉も、意味を理解しなければ、情念が生まれない。スルースキルというやつだ。
今この世のなかで最も意味のないものははっきりとしている。けれども、その意味のない世界観から発さられる意味のない言葉で、こちらに無駄な情念を発生させられないように、そのためには、言葉の意味を浸透させないように。言葉が届くとしても「私とあなたは決して交わることのない平行世界」。言葉が届いても、意味を受け止めなければ、それはパラレルワールド。私の世界と、外側の世界の接点は、音でも光でもなく、意味だけなのだ。
物理学がいうように、この世は全てホログラフィック。実数時間の肉体を持ち、虚数時間の意識を持つ人間という存在いて、人間原理として機能し、宇宙は観測のなかに生まれる。ただ細々とした知識や現象は実数時間の世界であって、また同時に言葉足らずの言語であることから脱却もできない。
虚数時間の意識には、時間感覚がない。実数ではないから当然だ。実数である私たちの肉体、時間を認識するリズム遺伝子だけがこの世に時間を作り出している。情念を捨てることは、虚数時間に近づくことだ。
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