living will of living dead
ケガレの思想は、どれだけ科学が発達し、政治経済を改善できたとしても、いつの時代も人々の心のなかにあるようだ。いまは本当に「話が通じる相手」とそうでない相手が本当にはっきりと分かれた。
これほど「ずれ」を感じる時代があっただろうか。いやむしろ昔も歴史的事象として残っている。同じ元型を持つものとして、異端審問とか、魔女狩りとか、現代には自分の人生にはもう無縁だと思っていたから。
情報とメディアの多様性は、正義や真実の数を増やした。けれども基本的にひとりあたり1個しか正義・真実は装備できない。すると、人によって違う正義・真実を装備している可能性が増えて、対立が増えた。最近は強烈な「社会の正義」が上から押し付けられて、それに対する反応の違いにより一層対立が増えた。
対立の機会が増えているのに付き合わなければならない相手や従わなければいけない社会的ルールが増大し、その矛盾と強制に対する反発により、自殺や殺人、危険運転などが増える。社会正義が独裁力を強めた際の「正義の違い」がこれほどにQOL損ねている。(QOLの損害は悪いことだが、情報の多様化自体は悪いことだとは思っていない。)
そこから連想されるのは、ハイデガーの思想でもある。
大学の頃、ある哲学の先生が、別の先生に関して「あの先生にはダーザインがない」と言っていた。ダーザインとは「そこにある」という意味で、今で言えば「自分軸」にも少し近い言葉かもしれない。
ハイデガーは、そのようなダーザイン、自分軸がなく社会に埋没する人間をダス・マンと呼んだ。思考を何らかの形で奪われ、自分の生命の有限性を自覚して自分軸で生きることができないような人々のことを指す。
17歳くらいの頃、大学受験用に倫理を勉強していた時、このハイデガーの話がとても身近に感じられ、すんなりと理解ができたし、良いことを言っていると思った。
ダーザインという言葉は、自分がまだドイツ語も学び始めていない頃に知った、この曲も思い出す。ich will da sein は「私は自分の存在が欲しい」なのか「私はそこにいたい」なのか。どちらにも取れる。
2010年代に、「年をとってからこの時代が懐かしいと思い出して、泣いたりするんだろうか?」と思っていたりしたが、当時想定していた以上にそれは大きなものだった。これは記憶喪失による「あの頃は良かったなあ」なのだろうか。
数年後の自分の決断によって、これほどの苦しみを受けるとは、当時も想定していなかったかもしれない。もちろん、その決断をしなかった場合も、それなりに苦しみがあったかもしれない。
Mein Verstand veliert.
このような日々で、来年、占星術的には自分は太陽期を終えることができる。自分の持っている星のなかで、最もアスペクトがひどいのは太陽なので、一応人生の上でそのような時期を終えることができたらとても良いことだ。
個人的には、どのような技法でも、ホロスコープ上の星のアスペクトとともに解釈している。例えば自分のアスペクトは
太陽、ノードあたりが酷い。アストロマップでも太陽の場所はあんまりだったし、でも「欠落」なので、私の太陽に対して良い影響を与えてくれる相性を持つ相手は、何か他よりも良いものなのかもしれない。逆に、もともと傷ついている太陽をさらに傷つけるような相性もあるかもしれない。そうなるともう自力では立ち直れないかも。
木星や金星の試練は乗り越える力がはじめから自ら備わっているけれど、太陽やノードにはないから、相性の良い人に助けてもらわなければならないのかもしれない。
他人に自分ではどうしようもない自分の弱点を補ってもらう。ハードアスペクトとはそういうものかもしれない。
ノード期は西洋占星術にはないが、一応インド占星術にはある(ラフ・ケトゥ)、ただ「期」みたいな概念や計算が西洋とインドで全く違ってかなり細かいしそもそもチャートのアスペクト(インド占星術でいうヨガ)も違う。でもそちらも参考にすると良いかもしれない。これとかで見れたかな。
インド占星術は、アスペクトやヨガの数が天文学的だが、西洋占星術の拡張可能な領域は実際の天体がどんどん増えていくことだ。例えば、
太陽系内でも10天体ではなくけど少しメジャーな星を増やすと、こんなことになる。遠くに行きすぎたボイジャーからの電波通信がバグっていて宇宙の遠くは太陽系と物理法則が違うのではとか言われているが、ここでも一部表記がバグっている気がする。ただ、これによってホロスコープの無限に深堀りはできる。これでもまだ序の口で、シリウスとかスピカみたいな太陽系の外の星を入れるともっとすごいことになる。
ただ、ここまで広げてもやっぱり星の中では自分は太陽はちょっとアスペクトがあんまりな星の代表な気がする。でもそのほうが次の時代へ期待ができる…かもしれない。
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