Totentänzer
長寿に値する人が少年期に命を絶たれ、穀潰しがのうのうと長生きをする。これが、われわれの避けることのできない残酷な現実なのである。われわれは、死の残忍性と気まぐれの実際的な経験にあまりにも苦しめられるので、慈悲深い神も、正義も親切も、この世にはないと結論する。
しかしながら、他の観点からすれば、死は喜ばしいこととして見なされる。永遠性の光のもとにおいては、死は結婚であり、結合の神秘である、魂は失われた半分を得、全体性を達成するかのように思われる。ギリシアの石棺には、この喜ばしい要素は踊っている少女によって表現され、エトラスカンの墓は宴会によって、この要素が示される。(中略)このような習慣は、死は実に祝うべき事柄であるという感情を表している。
ー『ユング自伝2』ヤッフェ編、河合隼雄ほか訳、みすず書房、158頁
ある種の魂は永遠の存在であるよりは、この三次元の存在の状態の方を幸福と感じるのではないかと、私は推察する。しかしこれは、その魂がその人間としての存在から、あの世にどの程度の完全さと不完全さをもちこんできたかによって決まることだろう。
ある魂がある段階の理解を達成した時は、それ以上、三次元の世界の生活をつづけることは無意味であることもあろう。つまり、より完全な理解によって、この世に再び生まれようとする望みがつぶされてしまったので、その魂はもはや、この世に返って来る必要がないのである。そのときは、その魂は三次元の世界から消え失せ、仏教徒のいう涅槃に到達する。しかし、まだ片付けねばならないカルマが残されているときは、魂は欲望へと逆戻りをし、再びこの世に帰る。多分、そのようにしながらも、何か完成すべきことが残されていることが解っているのであろう。
私の場合は、私に生をもたらしたものは、根本的には、理解することに対する情熱的な欲求であったに違いない。これが私の性質のなかで最も強いものであるから。
ー『ユング自伝2』ヤッフェ編、河合隼雄ほか訳、みすず書房、167頁
人生に目的があるかどうかは、その人の考え方次第かもしれない。けれどもその人によって、得意不得意、興味のあるなし、感情の繊細さ、色々と大きく分かれる。そしてまた、人間は快楽ホルモンや記憶に支配された存在だから「性格が運命を作る(ethos anthropoi daimon)」と言える。
外部の出来事の受け止め方もその人の性格次第だ。うまくいかない時、人はこれは「自分の本当の人生を生きていないから方向転換を求められているのだ」と思う人もいれば、「うまくいかないこともやり遂げなければ負け」と思う人もいる。その時まさに性格が運命をつくっている。
ある人の成功メソッドが、必ずしも他の人の適応されるわけではない。個々人の性格が違うので、運命も違ってくるから。
この世に何か目的があって生まれてきているとしたら、それは私が最もなしたいと思うようなことだろう。これは占星術とかスピリチュアルの基本概念で、個人の尊重なので集団の結束を必要とする宗教とは少し違ったベクトルの考え方だ。
ただ、「私が最もなしたいこと」というのも、どこかタマネギを剥く作業みたいなところがあって、中身がないみたいにもなる。一応、ホロスコープなんかは、ノードのハウス・星座・アスペクトでそういうものが示されていることになっている。
ユングは存在や起源などに関する理解欲求が生の理由であり、最も強い欲求だと述べている。ユングのホロスコープでは、どうなっているだろうか。
ノースノードは2室さんらしい。本人が知っていたかは定かではない。ユングは占星術についてそもそも研究しているし著作でもシンクロニシティの原点として占星術の研究があるが、ノースノードが当時どれくらい伝わっていたかがあまりわからないだけで。
理解したいという欲求は、どちらかといえば7室太陽にも感じる。2室のノードは、美術コレクターや自分の趣味に生きるみたいな感じが強まるので、他者との関係性がアイデンティティという太陽の気質の方が何かそういうものを感じる。
あとは3室にある月と冥王星…。ユングの生涯には、3室のエネルギーは強く感じるものがあるからだ。人生の目的を、占星術で見出すならば、ノード、太陽、月、冥王星あたりが中心なのだろうか。
ユングの関連で、似たような人として思い浮かんだのがヘルマン・ヘッセとジャン・ポール・サルトルだった。両者のホロスコープと比較してみると、それぞれの星のハウスが、なんだか似ているところがある。
ユング:太陽7、水星6、冥王3、月3、ノード2
ヘッセ:太陽7、水星6、冥王5、月3、ノード2
サルトル:太陽7、水星6、冥王7、月2(3)、ノード8(9)
カッコはハウスのキワに星があり、座標としてはそのハウスだけど、どちらかといえばカッコ内のハウスに入っているようなものを意味する。
冥王星は、世代の星でもあるので、まあ多少はというものもある。ただ太陽、水星、月の一致率が高い。ノードも、サルトルだけ8~9だが、それはサウスノードが2~3にあるということでもあるため、関連を持っている。
これらの人々について共通して思うのは、「哲学・思想を哲学書・論文形式よりも物語や芸術作品として発表した人」ということだ。
冥王星だけがばらけているので、重要度が低いように見えるかもしれない。しかしこの三人でヘッセだけがいわゆる職業として小説家であり、ヘッセにだけ物語クリエイターを表す5室に冥王星があるというのは、運命を規定しているようにも見える。
芸術は、本当に興味がない人にとっては何の意味も持たない代物かもしれない。しかしそうでない人にとっては、それを欠くと人生の目的も何もなくなってしまいそうなものだ。
0コメント