クロニカ
草刈りの時期ですが、なかなか行く時がない。雑草については、人によって本当に意見がわかれる。その意味では、普通の人々の雑草観がわからなくて、個人的には作物育成にとってマイナスにならない雑草を刈る意味が特によくわからない。
それに対して、多くの人は、雑草=全て悪となっていることが多い。特に自然の事物に関しては、除草剤、殺虫剤を売るために、草や虫を常に悪に仕立て上げる経済戦略の誘導効果によって、時に現実とはかけ離れた世界観がつくられていると感じる。
報道は常に悲劇的なものしか売れないので、それで埋め尽くされ、世界は常に悲劇でいっぱいであるかのように仕立て上げられる。報道が悪いというよりも、そういうものに好んで群がりそれをよく買う視聴者のタチが悪いというべきなのですが。
ただ、経済戦略のプロモーションのためにつくられた世界を真実だと考える人にとっては、実際にそれが起きているとも言えるのが世界の不思議なところだ。
歴史に詳しい方と話をすると、いわば遺骨等のDNA解析によって教科書に乗っている日本史の常識とかがすでに覆っているものがあるが、それによって他国との関係が悪くなる外交的・政治的な理由で公表されたり少なくとも歴史の教科書に乗ることがないような歴史的な事実もあるという。
科学的なものも同じで、常に経済や政治が優先され、その次に科学的思考がくる。その仕組みは大学や学会の研究における基本だ。
本当に時々、昔、一度だけ、企業と学会の癒着、すなわち学術研究機関が企業から資金を受け取って、研究結果を企業に有利なものにしているという告発の報道がスイスかドイツのあたりであった。
本当に何年も前に見たものだったので、この記事だったか、少しうろ覚えだ。何かでこの記事を見た直後に、感染症がどうとかいう時代に入った。
全然ジャンルは違うけど、学会というものに、自分も属していたこともあったので、そこがどういう場所かは、身をもってよく理解している。(今はもう、お金がもったいないので、退会しました。)
経済や政治のために有利な情報を科学的思考や公平性よりも重視する。「統計学」はいわばそのための技術のようなものだ。視聴者によって特定の印象を与えるように、数学を舞台演出として使う。
雑草農法に関しては、従来の経済活動が作った世界とも、古い雑草観とも違う世界が、いわば国内外の研究にはあると感じる。
論文は、思いつきで少し調べたにすぎない…。きっともっといっぱいあると思う。人間のホルモンやニューロンの伝達と同じ構造が、植物にもあるし、それがあるってことは、言語とコミュニケーションがあるということだ。人間でいうところの福祉、お腹が空いている人に余っている食材を与えるように、栄養が足りない植物に他の植物が栄養を与える行動も確認されていることになる。
人間の細胞が量子計算的な機能を持つという議論にも入ってきているわけなのだから、植物の細胞も同様である可能性はある。
除草剤に関しては、外来種のブラックバスかなんかを放流した誰かによって水場の生態系が完全崩壊したみたいな話と一緒で、特定の雑草には効果があり、特定の雑草には効果がない、という点で特定の種が異常発生し、生態系のバランスが崩壊する。特定の種が異常発生すると、だいたいその生物は「毒」を持つことになる。もちろん、いろいろな種類があってひとくくりにはできない「除草剤」自体が人間の健康に与える影響もある。
もっと雑草について面白い論文や著作などもあるかもしれない。
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