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「願いが世界に届くかどうか?」という言い方をすると、ロマンチストな言葉だと言われるかもしれないが、「素粒子は観測によって収縮するかどうか?」と言った時、この言葉をロマンチストだとはあまり人は思わないかもしれない。でもこの二つの言葉は、よく似ていると思う。
それでもって、「素粒子は観測によって収縮するかどうか?」に関しては、今は「そうである」と言うことができる。これは同時に、「願いが世界に届くかどうか?」にもちょっと期待できたりするような気もしてくる。もちろん、現代の量子力学の定説を全てひっくり返して合理化する定説はいつ現れてもおかしくはない。
ただ少なくとも、ミクロからマクロへのバタフライエフェクトは存在するかもしれないし、マクスウェルの悪魔の思考実験もまた、情報がエントロピーと関連するという話につながった。「願い」かどうかは別としても、人間の思考が世界に運動的影響を与えているのは物理学的な法則だ。
ショーペンハウアーの「意志と表象の世界」はすべてのはじまりかもしれない。ニーチェもユングも、ここから大いなる影響を受けた。ユングは特に、ここからシンクロニシティについて考えるようになった。
そして逆に、ショーペンハウアーが影響を受けたのは、東洋哲学だった。インドや仏教の哲学だった。ニーチェもユングも同じく東洋哲学から大きな影響を受けた。
もっと言うと、ショーペンハウアーからも東洋哲学からも大きな影響を受けたのが、シュレーディンガーだった。量子力学は、インド哲学や空の思想、唯識などからしたら、とても理解しやすいものだと思う。
近い領域だからこそ、お互い現代では科学非科学みたいに、自らの努力を否定されないように、縄張り意識をぎらつかせているのだろうか。とはいえ、物理学の偉人を通して原点が共有できるということは、歴史的事実に他ならない。
意志というものが、世界にどう影響を与えるか?それは近代思想の時代の言葉で言えば、「精神と物質の境界線はどこにあるのか?」だった。その言葉は、今最も大きなテーマである「量子力学と古典力学の境目はどこにあるのか?」にもちょっとだけ似ている。
ゲーテの植物の根源への探求、メタモルフォーゼ論なんかは、この文脈でもあった。
量子力学の世界では、素粒子は「観測」によって収縮する。つまり、人に観測される前は複数の地点に存在が確率として霧のように存在している状態が、観測後は特定の地点に存在している状態にかわる。
オープンワールドのゲームをやっていると、微妙に理解しやすいかもしれない。主人公の周囲の空間は、テクスチャがしっかりしているが、遠くになると、テクスチャがそこまでしっかり作られていない。遠くになると風景が小さくなるので、適当なテクスチャでも済む、容量削減のようなもの。だからチートとかバグとかを使って、視点を遠くに瞬間移動したりすると、細かいテクスチャが読み込めていなくてPS初期みたいな空間に入り込む。素粒子の世界もちょっと似ていると思う。
そこで、三次元空間は「生命が出現する」ことが前提として生まれたと言う人もいる。観測されることがなかったら、世界は存在しないからだ。もうひとつ、「なぜ三次元空間なのか?」という問いがある。三次元じゃなくても、四次元でも五次元でもよかったのに、なぜ?ということだ。それに関しては、三次元以外の空間だと成立しないとされているものがある。それは星の軌道だ。
ものすごく詳しい数学的なことまでは個人的には知らないが、この世界が三次元以外の次元でつくられていたとしてら、星の軌道が崩れるようだ。いわば、この世界は生命と星の軌道のために、三次元空間として存在している。
そしてまた、星で言えば、DNAが生成される材料は、星のガスとそこへの光化学反応だとも言う。DNAの宇宙由来の話は、最近どんどん増えてきているように思える。DNAのある生物全体が、地球外生命体だ。そしてまた、私たちこそが、他の星が崩壊したその星屑でできている。
占星術とは、そのような思考上で、いかなる存在だと言えるだろうか。
占星術は、特定の時間の太陽系の各惑星軌道と、太陽系外の星雲軌道のようなもの(星座)とを、360度の円形空間座標上の交点で結び、その交点で結ばれた地点同士がどのような角度をとるか、で全てが決まる。地政学が歴史をつくっているように、何もないように見える宇宙空間上の星にも何らかの地政学的条件があるのだろうか。
ただ、宇宙でできたものが、宇宙と関係ないということはあまり考えにくいし、バーナム効果がそこにあるとしても、それによって作られる縁や因果が重要な役割を果たすこともまた多いと感じる。
もし占術が統計学やレトリックの一種だとしても、それ通して、個々人が行き着く先の特定の回路のような道の役割をなしていたりする。または一番最初の問い「願いは世界に影響を与えるかどうか?」においては、本来、確率として霧状に分散している「願い」がひとつの固定した現象として収縮するための観測の役割をしているかもしれない。それらにある種深遠なエネルギーを感じるところはある。
この意味では、最近CERNに関する記事がとても気になる。時代が加速しつつあると言えば、そう思える。素粒子に今までなかったような力を加えるようなことは、世界にどのような影響を及ぼすのだろうか。
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