Will to make
ニーチェの『力への意志』、ドイツ語でwille zur machtは、哲学者の永井均さんは、「力への意志」ではなく「力=意志」という考え方が正確だと言っていた。実際に、このWille zur Macht, の zur は英語で言えば to で、方向も意味するが「〜のための」と訳すこともできます。
つまり、WilleからMachtへ、WilleのためのMacht、など。Willeは、英語のwillで、意志、こうしたいという願い、Machtのほうは、英語には訳せる気があまりしない。Machtは、ドイツ語で権力、力などを意味する。ちなみに、最も語源的に英語においてMachtと同じ言葉はMadeになる。つまり「つくられたもの」。
ただ、この英語のmakeはmany, may(~できる)なども類語だが、ドイツ語のmachen(つくる)でもあるけど、例えばギリシャ語のmacros(広い)、mache(戦争)、などの類語。すなわち、すべてに共通するのは「広げる」という意味だ。ニーチェはギリシア語学者でもあって、逆に哲学著作によって大学を追われるまでは、古典ギリシアの研究者であり教授であった。だから、Machtにそのようなギリシア語語源的な意味が込められている…と必ず言えるわけではないが、なんにせよこの「Wille zur Macht, will to made」の意味を色々考えると、解釈の幅が広がっていく。
領土を広げていく(macros)、つくっていく(make,machen)ことができる(may, mögen)から戦争(mache)。ニーチェは、「力=意志」が全ての根源だと考えた。すべての運動は「そうありたいから」起こる。
ショーペンハウアーから続く問いであり、さらにその根源はギリシア哲学やインド哲学にあり、なんなら現代でも「世界シミュレーション仮説」などに関わる命題なのだ。つまり「願いは、世界の現象に干渉するのだろうか?」これは、占術、魔術、すべての存在意義に関わる命題だ。
量子の世界で、物質は「観測」によって収縮される。まあ人間の観測というレベルのサイズでもなく、光の波長よりも小さな世界の話だけど、「意志」が運動ならば、それはもう物理学だ。そして「意志」は何でできているか?人間の高分子レベルのものがつくりだす、統計と報酬系の連携、DNAに「意志」があるのか、それともトライアルアンドエラーのなかで淘汰の振り分けが起こり、環境によって生き残りが振り分けられているのか、まだ決着のついていない議論だと思う。
量子脳理論では、このような量子の世界の性質を、人間が利用していると言う。もちろん、すべての原子は量子の塊で、量子はそのように確率で存在し、十分に観測されるまで「実体がない」。
テレビゲームをやっていると、この感覚は、ものすごく理解しやすい。最近の容量の大きいゲームでは、主人公の視点から近い背景のテクスチャは緻密にして、遠い場所のテクスチャは最低限にすることで、容量や挙動を軽くしている。量子の世界は、そのように「視点」がやってくるまで、存在がいい加減なのだろうか。
その意味では、「意志」が「世界」をつくりだしている、と言えなくもない。まだ穴だらけだが、仏教やバガヴァット・ギーターなどの世界そのもので、「空」が観測という思い込みによって「実在」に変わっていく(存在が収縮していく)。
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