たぶんアジア

 阿字観という修行があります。梵字の「ア」を見続けていると、段々瞑想状態に入っている修行です。

 別に「ア」じゃなくても、何見ててもいいっちゃいいと思う。好きな写真でいいです。特別な感情、または下心なんかがあるとより効果的な気がします。じーっと見ていると、それがなんなのかだんだんわからなくなって、ゲシュタルト崩壊がはじまって、ピントがあわなくなって、見ているのに見ていない状態になります。そうすると、なんか謎に気持ちよくなってきます。退行催眠と同じです。

 まあ阿字観もそれを目的とした修行でしょう。瞑想とはそういうものですね。体の常識的な機能の停止は、ある意味では病気として起きると苦痛ですが、むしろ快楽になる場面もあるようです。


 内田樹さんの本の、なんて本だったか忘れてしまったけど、昔読んだどれかの本に「死はたぶん、人生最大の快楽になると思う」みたいなことを書いてあったのを思い出す。

 死ぬまでの病気の苦痛はもちろん快楽ではないけど、肉体の牢獄、精神・理性・思考・感情、そういうもの全てから解放される時は、確かに快楽以外の何者でもないんだろう。

 阿字観で視覚的統合機能が崩壊するだけでもちょっと気持ちいいし、退行催眠・前世療法みたいなので、思考が崩壊し脳がなんか勝手に独り言いってるだけみたいになるのもまた、時間が飛ぶし気持ちがいいくらいなのだから。

 夢とかも、思考や理性が全て崩壊してヴィジョンと感覚だけになった時、本当に色々な場所に訪れることができます。確かに、現実世界では感じたことのない快楽を特定の夢の場所で感じたり、また逆に「この先に行くと、情報量に耐えられなくて死ぬ」的な場所に夢で行ったこともありますが、そういう場所の感情もまた、特異なものです。


 アジカンはアジカンでもこのアジカンではない。大学の講座とかで、先生が話し言葉で「阿字観」って言ってた時、「アジカン?」って思ったのを思い出す。鯖缶でもない。

 今まで友達とカラオケ行った時とかに、何度みたかわからないやつ。もう20年くらい前になるのか、今見るとpvかなり安っぽく感じる。

ᚠᛚᚪᚵᛋ ᚠᛚᚪᛪ ᚠᛟᛞᛞᛖᚱ ᚠᚱᛁᚵ

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