Bruh my mind
時計仕掛けのオレンジで、元仲間の警官ふたりに主人公が森に連れられてくるシーンがある。そこらへんは、この映画の中で珍しくこのシンメトリー的な構造が破られているところで「普通の映画」的な印象を受けるという意味で、むしろ一番印象に残ったりする。
プラトンは、幾何学模様は人間が対象をそう認識するから存在するとして、また同時に人間が生まれる前から「幾何学模様」という概念を与えられているから認識できるとした。
自然という無限の表現があって、それに対する人間の有限の認識システムの捉え方に幾何学模様がある。
すべては周波数だなあと思いつつも、化学とかの教科書の原子は確かに、霧や流星群みたいなモデルはなく、モンスターボールかマルマインみたいなのばっかりだな。
宇宙の写真と、脳神経細胞のみならず、原子分子の写真とが似ていると比較されることがある。
原子もピンボールのようなものというよりも、常に動いている霧、常に回転している換気扇みたいなイメージのものだ。それは太陽がいわゆる固体とか岩というよりもガスでできているけれど、丸い巨大な岩のように見えることにも似ています。
そういう形状は、仏教画とかにあるマンダラも想起させる。複数の円が重なり、大きな円をつくりだす。
分子は原子でできていて、原子は電子と原子核でできている。それらすべてが、要は周期でできている。1回転するファンが、球体のように見えるけれど、それはただ回転しているだけなのと同じで。回転しているということは、同時に1回転する速さが周波数であり、周波数の違いにより、存在に個性がでてくる。
そして、なんといっても、マンダラという言葉もまた「回転」という言葉を意味する。静止したピンボールではなく、この世の最小単位を回転という言葉で表現した、という意味で、化学の教科書のマルマインよりもこの世の核心に迫っている言葉かもしれない。もちろん、前述のように、これからは教科書の原子も、マルマインではなくなっていくかもしれない。
周波数とは個性であり、周波数が世界を支配しているのは、当然のことだ。
ニコ動とかでも、「作業用BGM」というカテゴリがある。作業が捗る音楽というものがある。日々こなさなければいけないことがあって、それを助けてくれる音楽は良いものだ。力への刺激で、行動する気力を音楽が与えてくれる。インスピレーションも、基本は体が興奮し脳の血流量をあげなければならない。
ただし、人間が労働しなくてもいいのなら…そんなものはもういらないのかもしれない。
ドイツの音楽を育てたものは何か?それは農業だ。農業が捗るために、ドイツでは音楽が進歩した。農業をする力を与えてくれるものだ。北欧で人気のある音楽は何か?寒さというよりは、体を温め、動く気力を与えてくれる激しい音楽だ。
または、私にとっては、音楽は魔除けだ。気力が与えられるので、抗うつ剤的な役割もある。他人の周波数をものともせず、道を歩けるようになる。ただ、そんなことをする必要もなければ、音楽はいらないのかもしれない。
とはいえ、音楽の、周波数の個性の可能性は、漫画とか絵で情景描写ができるみたいに、光の親戚である音も情景描写ができるということだ。世界にひとりぼっちという曲が、世界にひとりぼっち感を凄く表現しているので、思い出補正かもしれないけど、凄いと思う時がある。
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