厭離・論理・クロウリー

  統合失調症にも色々あって、うつ病みたいな症状から、まあ一般的に統失といった時の症状である幻覚症状まであると思う。その意味で、普通の意味の幻覚症状の方の統失は、明晰夢の逆の存在だなあと思った。

 夢の中の存在が現実に出て来たら統失なら、現実が夢の中に侵入したのが明晰夢だから。

 自分は明晰夢は、時々見れるけれど、条件が謎すぎて、自分の意思で見れるわけではない。明晰夢を、2日前に見ました。でもさらにその前に見たのはもう1年以上前。

 明晰夢を維持するのは、結構大変です。なんかどういう力の使い方かうまく説明できないけど、力を抜いたら普通の夢に戻ってしまう、または目が覚めてしまうからです。すなわち、夢と現実とすれすれの部分にいる状態が明晰夢です。

 そのすれすれの領域で、夢の中にいれたら明晰夢で、現実にいたら幻覚症状かな。その状態を維持するのになんか意識の力みたいなのが必要です。

 こういう話もあるので、修行?したらもっとそのすれすれの場所を自由自在に行ける、明晰夢マスターになれるんかもしれないね。明晰夢の技術?も本質的には、クンダリーニヨガみたいなのとかわらないと思います。

 東京にいた頃は、少し眠い状態とか寝起きの意識における幻覚とか、誰もいないのに部屋のドアをノックされるとか(安眠妨害になり、うざい)、そういう変性意識的な体験が時々ありました。ただ、今地方都市に引っ越して来てから、明晰夢以外は、そういう現実状態での変性意識は、全くなくなりました。

 いやでも、地方都市に引っ越してすぐ、自動車学校いってたんですが、そのストレスでか、なんか車運転しようとすると、道に青い猫とかが走り回ってたりしてたんで、取得できませんでした。自然とか好きなんで、田舎好きなんですが、こういう症状の人はどうすりゃいいの?自動運転を待つ身です。


 まあ幻覚といえば、私はアレイスター・クロウリーの本が好きです。まだ日本語訳されていない本がいくらかあるので、個人的に訳してみたいなと思っているくらいです。私は人の気みたいなのをものすごく受けやすいですが、文学とかは、特に何か気とかオーラみたいなのが、作品の中に残っているので面白いです。西洋古典や中世ドイツ文学について大学で習っていたのでよくわかるのですが、そういうものって、翻訳されてもどこかに残るのが、面白いです。

 翻訳がなされると、原作者、翻訳者の気みたいなのがそれぞれミックスされると思います。翻訳において言葉を選ぶという時点でその人の気が入りますね。原作も、いわゆる伝承とかなら何度も伝言ゲーム的に作者から作者へと受け継がれてきています。インドの古典なんかは、特に歌の形式で親から子へと伝えられたものばかりなので、子々孫々の気というか、まるでトーテムポール、フィンランドとかであった、先祖代々の名が刻まれたお墓の樹の、樹木葬のようです。

 クロウリーは、その意味で、原作者の気みたいなのがすごい強くて好きです。バガヴァット・ギーターとかいわゆる気みたいなのが強い文学・古典はいっぱいあります。純粋な聖者の気というよりは、現代芸術家みたいな気ですが、とても面白いです。




あとさっき思ったのは、rad最近はもうこういう曲でないの?って。昔の魔術的時代のRADWIMPSの曲もうでないの?若い頃bumpに感じたことと同じ現象。

ᚠᛚᚪᚵᛋ ᚠᛚᚪᛪ ᚠᛟᛞᛞᛖᚱ ᚠᚱᛁᚵ

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