it all returns to nothing

 youtubeによく流れている、養老孟司さんの講演切り抜きみたいなやつで、これだったかな?数式においてx=3とすることの異常さ?みたいな話があった。

 つまり、xと3は違うのに、例えばx+2=5, x=3みたいに、違うものを同じとみなす、ということでひっかかる数学の天才みたいなことを話していたと思う。動物も、「同じ」を理解するのが、とても難しい。

 ヘラクレイトスの断片を思い出した。いわゆる有名な「同じ川には二度と入れない」というヘラクレイトスの言葉で、これはよくよく考えれば、めちゃくちゃアンチ数学的かもしれない。この世に「同じ」がないと、いま普通の意味での数学なんて展開できないのだから。


 また、「同じ」という言葉で「反復行動」のことも思い出した。反復行動で、フロイトの「死への衝動」のことを思い出す。フロイトは、人間の一部の反復行動のなかに快楽や生への衝動ではない、「死への衝動」のようなものも見出した。

 すなわち、同じことを何度も繰り返すことで、エネルギーを浪費すること。そして死に近づくこと。悪い記憶のフラッシュバックは、夢的な脳の整理と生存の機会を上げるために危険なことを思い出す自己防衛本能のように解釈されるのが今は普通だと思うが、フロイトもそれは「死への衝動」と解釈した。

 すなわち、体にとって悪いことをなぜ行うのか?そこに「死への衝動」が見え隠れしている。


 飲酒、辛いものを食うこと、筋トレ、それぞれに共通しているのは筋肉の断裂やプロスタグランジン産生みたいな「痛覚」を得て、体がその時そのストレスの軽減のために「快楽物質」が放出される、その「快楽物質」がくせになって、痛覚に対する反復行動を起こし、耐性や筋肉がついていく、という反復行動の現代的な解釈がある。この反復において、「死への衝動」はここでは死が目的というより、快楽物質が目的だ。まあどっちにしろ、快楽と痛覚がセットになっているのだ。


 反復は「同じ」がないとできない。そして確かに、数学には、何か死の匂いがする。個人的な感覚かもしれないけど。数学には、属性がなく、無色透明であることを尊重される、みたいな、なんていったらいいのかわからないが、そんな傾向があると思う。反復可能なものの最大の象徴だし、反復は何度も行うことで、個性が壊れ、全体が統一化され、個別では色鮮やかなものでも、無色透明になっていく。いわば死のイメージと一致する。


 実際のところ、生命とは、つまり「生きている」ということのほうが、宇宙物理学的では異常なことだろう。生命は、エントロピーの法則に反逆する存在で、生命を含む宇宙の全ては静止していくことに向かっていく。そのなかで、生命だけが反逆しても、大海の一滴なのだ、ということは、時々言われる。もちろん、こういった法則が、正しいのかもわからない。いつか、より上位の論理みたいに、覆されるかもしれない。

 でも「死への衝動」はこういった現代のエントロピーに関する考えの宇宙物理学的には「自然に帰る」ことに他ならないような、そんな気もした。



 なんとなく、"it all returns to nothing"とか歌ってる、エヴァの曲をまた思い出して。

ᚠᛚᚪᚵᛋ ᚠᛚᚪᛪ ᚠᛟᛞᛞᛖᚱ ᚠᚱᛁᚵ

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