fire sign
シャーマン風に動物霊リスペクト的な感じでなんか叫んでるだけの曲だとずっと思い込んでいたんですが、字幕つけたらちゃんと歌詞あったんですね。OTYKEN…おちけん?
シャーマンに憑依する、あるいは、北欧の戦士とか、動物の毛皮を着たりすることで、憑依する動物霊、動物たちの言葉どころか、
キノコの言語の内容…言語学的にめっちゃ興味がある。一体どういう文法があるんだろう?
というか、量子力学とか、証明とかスケールの問題を面倒くさいので無視して考えると、どんな素粒子の先も最小単位は、PCみたいに、すべてなんらかの二進数の2bitの情報みたいなものじゃないかと思う。量子計算も、全てこの2bitから始まった系統樹の延長線上。情報が、この世のアルケーだと思う。その意味で、言語の発生は最初は2bitしかないとしても、全ての起源だし生命の源なのではないのかと。
言語といえば…人生で、「やり直したい」的な地点について考えてしまうときはあった。それはつまり、自分が習得した言語を選び直したい的なもの。
つまり、自分は結局大学でドイツ語を習って、それを習得したわけだけど、ドイツ語じゃなくて、中国語を習ってればな〜、と思ったことがある。今のこの私の人生においては、ドイツ語とか西洋古典学とか、無駄にややこしいことに、苦労して脳細胞をたくさん使った。
ただ、その後、現実的には実用性、求人、仕事に役に立つ的な意味で、これを、全部中国語とかに変えれたらいいのに…思うことがあった。
もちろん、これからまた色々いちから学び直す気力はもうないです。もしタイムマシンがあって人生をやり直すとかも、正直また色々辛いことをまたいちからたくさん経験しなければいけないわけなんで、まあ100%快楽しかないパラレルワールドでもない限り…って感じ。
勉強すること、勉強する内容、入る大学、習得するスキル、そんなことは、人生にとっては全くどうでもよくて、少しも重要じゃない。
受験、資格、勉強、格差作成ゲームのルールのための、もやみたいな幻想。後ろを振り返るとそれがあるけど、私の前にはもうありません。
実際、今のこの私のワールドは、もしかしたらだけど、調子付いています。セレマ、アレイスター・クロウリー的な魔術を信じています。信じていますというのは宗教の強迫性障害のことではなく、例えばドーパミンやエンドルフィンを感じるのと同じ意味です。その結果です。楽観的な未来の実感こそが悟りの境地です。占いのいいところは、未来予測というより、そこにたどり着くための精神指導の手段になることです。
ただ、言葉にすると風景は消える。でも定着させるには、マントラのように言葉を繰り返す必要がある。もちろん、言葉にしなければ、すぐにその風景は復活する。その風景が定着すれば、ずっと私のなかにある。
そう思うと、まあ、なんというか、
火鍋うまそう。
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