Ars longa, vita brevis
中世ヨーロッパの錬金術をなぜか思い出しました。例えばこう、同じ手術、薬の処方、調合、化学実験みたいなことをするにしても、「それをするひと」によって結果が変わるという考え方がありました。これは、近代以降の考え方と完全に違うところです。
いわば近代以前の医者は「人格」がとても重視されました。同じ手術でも、人格が良い(?)医者にやってもらうほうが、成功率があがるとか、そういうものです。また、例えば調合でも、その素材がその日によって性質が違いました。例えば、金星に関連のある素材は、金曜日に調合することで最も効果が得られる、みたいに。まあ、だから、月曜とか金曜とかって週の名前が付いているのでもあるのでしょう。これは占星術みたいなものです。
錬金術という言葉は、実にいろいろな別のものを含んでいます。ユングによればそれは哲学みたいなものですが、近代以前の医療や薬草学がすべて哲学的な問答にすぎないというわけでもありません。アスピリンの、柳の樹皮の解熱鎮痛剤の効能は、古代ギリシア・ローマの時代にはすでに知られており、それはすなわちそれ以前の民間伝承の時代から引き継がれたものだったみたいに。
ユング的な文脈で言えば、中世の錬金術の書の目的は、それ自体が実験の過程というよりは、読んだ人に「精神の変容」を起こし、なぜその精神の変容を起こすかと言えば、それをすることで医療に関わる人間の精神が「向上」し、実験・手術・処方などが成功またはなんらかの良い結果になりやすくなるということなのかもしれません。
例えば翻訳も、行う人によって全く違う答えがでてきたりします。なので、言葉というものは、そういうものです。そして、言葉の集合体が、知識であり、現象の認識です。認識が変わると、まあある意味カオス理論またはバタフライエフェクト的に(?)、マクロの現象にも作用を及ぼすのでしょう。
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