淘汰
最近もちょっとこれの48に書かれている、当の本人がいるところに「〇〇さん(本人)いますか?」とかやってしまった。ASDの感じで覚えれない感じのものは、自分にも山ほどある。外国語には強く、特に苦労なく1回でセンター英語9割とれても、自動車学校のテストで何度やっても9割すらとれなかった。
けれど、これはなんかそれと違って、場面緘黙症の感じがまたちょっとでてきているというか。それでちょっと脳がうまく機能してない感じになるときがある。
そもそも、10代の頃に場面緘黙症になった、まさにその同じ場所(自分が行っていた学校)に一部仕事に行っているせいもある…。そこでは、相変わらず同じような気分になるので、何か場所の気、自分とこの場所の気の相性の悪さ、空間性のジオパシックストレス的なのが、そうさせているのでは…と思ったり。
とはいえ、実はその仕事環境のなかでも、イヤホンで時々音楽聴いていても誰にも怒られないというのがある意味すごい画期的な利点に感じる。ただ、その仕事場にいると気分は悪いのだけどね…。
統失ではないが、イヤホンの効能は正直計り知れない。自分は、音楽を聴いているときだけ健全者でいられるのかもしれない。(耳は塞がるけど)
ただ、どっちにしても割と今こうやって何か書いているときも、他の何かをしているときも、すごい集中していない限り、実は結構な頻度で自分の頭のなかで音楽がなっている。これがほんとうに聞こえているみたいにリアルになったら統失なんだろうな。子供の頃とか、寝ようとしてもこの頭の中の音楽が止まらなくて、なかなか寝付けないみたいなことがあったのもよく覚えている。
学ぶことに関して「将来役に立つ」とか「生活で使える知識」が学校の主要教科に全くないってのは確かそうだな〜って思います。
ただ「家庭科」「農業」「経済」「職業についての知識」「最新の世界動向」「最新科学」とかみたいにカリキュラムがなっても、子供達がどれだけついてきてくれたり興味を持ってくれるかはわかりません。テレビやメディアが相変わらず、目先の利益と古いものへの忖度で愚民政策をつづけるならば…。(もちろん、それが本当は国を守る契約手段だとでもいうのなら、仕方のないこととも言えますが。)
また、先生のほうも、こういった今の教科と違う本当に実践的で生活的な知恵は、最新の研究や思考なんかをどんどん取り入れなければならないので、新しいものについていったり、柔軟な思考で考えたりとか、ある意味ではやりたくてもできないという人も多いかも。
ただ、できる先生と生徒ならば、本当に国にとっては、はたまたどんな陰謀や個人主義も全体主義も超えて、世界の歴史にとって重要な役割になるでしょう。自分の人生、与えられた才能を全力で生きることは、ジャンルに関係なく生命にとっての喜びです。
遺伝とは、厄介な問題です。自分はこれ以上、この遺伝子の情報や経験、この性格であるがゆえの精神的苦痛を、他の世代に渡してもどうよ…って思ってしまいますが。
だからまあある種、こういう世界に憧れちゃうんだね〜。そしてそう思う疲れた心が多いせいで、そういう憧れの人が増えて、こういう動画が人気になるというか。
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