de consolatione philiae et sophiae

 なんか10代の頃に、友達となんでそんな変な話題になったのか覚えていないが、愛と金どっちが大事か、みたい話のなかで「愛をお金で買っているんだからお金の方が大事じゃん」みたいなこと言っていたけど、自分は内心「お金を捨ててでも愛を手に入れているのだから愛の方が大事なのでは?」とか思っていた。鶏が先が卵が先か的な問答。


 金星2室と金星5室で対比ができそうな話題だ。金星2室は「金運が良い」。金星5室は「恋愛運が良い」。どちらのほうが良いか?


 金運が良ければ、愛を買える。恋愛運が良ければ、愛を貰えやすい。


 ところで、いままでいろいろなホロスコープを見てきたけれども、実のところ金星2室という人を、印象としてなぜかあまり多く見てきたように感じない。

 2室に金星があるということは、一番大雑把には、自分の居住地である地球から見て360度の視点を特定の規則によって12分割し、そのうちのひとつの約30度(ただこの度数が、居住地の経度緯度によって増減する)の方角に金星がある状態を言う。2室に金星がくるという確率は、個々人の出生時間の24時間のうち毎日特定の2時間程度がそれにあたる。12個の部屋のうちどこかの部屋に金星が存在するという意味では、12分の1の確率。

 の、割に12人に1人は2室金星、という印象は薄い。


 とはいえ、自分はその2室金星で、というか占星術が好きになったのは、どう考えてもこの2室金星のせいだ。自分の金星は木星土星天王星ともソフトアスペクトを持っているので「金運に関しては心配いりません!」とどの本やサイトを見ても書かれる。もしも、自分の占星術鑑定でこの自分のホロスコープを持った人が来たら、金運がとても良いね!と言うに決まっている。そんなことを言われたら、一番嬉しいに決まっている。占星術に対して「もっと、もっとだ!」となってしまう。

 ただ、その割にはずっとお金の心配ばかりしているし、収入も大したものではなく、むしろ自分一人すら養えない状況(養えるけど、お金があんまりたまらなくなる)。とはいえそんな中でも「金運が良い!心配ない!」と言われたらそんな気もしてくる。

 ぶっちゃけ、その気持ちをもらうためにこの配置があるのではないかというくらい。持っている所持金にかかわらず、何か豊かになった気分になるのだから。

 どんな収入も残高も「豊かだ」と思えばそんな感じがするし、「足らんわっ…。まるで…!!」と思えばそんな気がしてくるのか。

 想いが現実をつくるというのも馬鹿にできないもので、「願望ノート」みたいなのを書いておくと、ゆっくりとそれが実現している気がするものだから…。

 ただ「ドラエもんに来て欲しい!」「古代ローマの世界に行きたい!」みたいなレベルのことを書いて実現するかどうかはわからない。書いたことがない…。


「宇宙は愛である」とスピ系でよく言われる。

 この場合、いつも「愛」という言葉の定義が、皆違うということを考えてしまう。

 ギリシア語で愛はアガペー、フィリア、エロース、いろいろあってそれぞれ語源と意味が微妙に違う、サンスクリットになると、バクティ、プリヤー、カーマ、うーん、検索すると、そこまで聞きなれない言葉もあって、イシュタ、スネーハ、ラティ、まああとそういった語の分詞化みたいなのがたくさん。

 まあそんなことを言わなくても、性愛、友愛、母性愛、神への愛、利己的遺伝子への愛、利己的遺伝子からの愛、生存競争の愛、環境適応の愛、みんな違う愛だ。


 引力、絡合、もともと1なるものであった細胞が分裂し多様性を持ちつつ時空間が生まれ原初の1に憧れる行為、そういうものを愛と呼ぶこともできる。宇宙は愛であるというか、例えば多細胞生物と単細胞生物の差、もっと言えば、素粒子の性質の差。差があって、引力が生じる。高気圧と低気圧があって、風が生じる。すべて高気圧か低気圧だったら、風は生じない。引力というか、全ての最小単位から最大単位までの量子から宇宙の果ての世界も含めた物理法則、化学反応。

 本当はもともと同じもので親戚なのだけどそれを忘れた存在同士「違うもの」があることで「融合欲求」が生まれ、その引力を愛とも呼べる。

 部分的には、宇宙は愛であるとは、定義というよりも幸福論だと言える。

 生命とはある種認識によってはじめて生じる。私は生きている、あなたは生きている。その認識がなければ、そのような認識の外にある仮に外的環境においてDNAがどんな塩基配列であっても(あると想像したとしても)、果たして生命が存在していると言えるかどうか。

 なので、認識によって愛が生じる。そして、愛のない世界を認識するより、愛のある世界を認識したほうが幸福だ。認識に愛を持たすと、世界が愛にみちる。なので、認識に愛を持たすことが重要であり、宇宙が愛であれば自身の幸福にとって最も良い。

 すなわち、宇宙は愛であると認識して過ごしたほうが、宇宙は愛でないと認識して過ごすよりも、日々の幸福度が上がるってだけ。

 実際に宇宙が愛かどうかの証明はどうでもよく、というよりも基本的に証明は他者に対する言い訳であって答えはなく、個々人の認識が答えであって、だから認識の数だけ真実があって、そのなかで、ただ認識する感情だけは存在するので。


 

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