ignoscent adolescent
特定の月生まれの人がかかりやすい病気の傾向をまとめた医療的研究なのですが、この図はもうなんか、占星術のホロスコープにしか見えないですね。
というか、やっていることは、やる上での手続きの厳しさみたいなのは全く違いますが、部分的には一緒で、医療も占星術も共通していることは統計的なものであるということです。医療の方は公式的な統計で、占星術は非公式な統計だと言えるかもしれません。
すなわち、それは統計なので、医学的事実もひとまずは特定のグループ下で記録された現象の累積であり、統計的に確率が高い、というのが結論であって、特に繊細で微小な現象に関しては、全ての人に100%適応される法則ばかりであるとは限りませんし、もちろん何か医学的に結論があっても、まだ発見されていない「ファクターX」の存在はどの医療にも存在しえます。
占星術も、古代から時空間的特徴と個人や社会の現象の特徴とを関連させた統計学なので、「こういう星配置の時は、こういうことが起きた」の古代メソポタミアやインドの時代からの累計のようなものです。星配置とは、ある意味では宇宙はひとつの二度と同じ時がくることのない時計のようなものでもあるので、時空間的座標でもあります。
その意味では、面白いなと思うのは、AIを作るのに何が必要か?といわれれば、やはり統計だということです。数学を理解するにはかなりちゃんと取り組まなければいけないので、この動画はまだちゃんとみれていないのですが(笑)、この方のチャンネルの解説はめちゃくちゃわかりやすいので、特に色々勉強したいお子さんなんかすごくいいと思います。はじめてこのチャンネルを知ったのは、森内チャンネルのコラボからでしたが。
ていうか、こういうのは、本当に時代の進化というか、実際に学校教育の場とかにはあまり知られていないと思いますが(というより、これまでの教育より便利なものがあると、先生の仕事が、なくなっちゃうのでとか色々あるかもしれませんが)、youtubeだから理解できなかった数秒戻してもう1回聞けるし、勉強を理解するという観点では学校の授業よりもいいことだらけですね。ほんま自分が子供の頃にこういうのがあったらなあ、ってまじで思います。
こういう新しさに理解がなく従来の学校教育しか知らない大人に変に抑制されなければ、本当に賢い子になれる時代だと思います。ただ、その「賢い」とか「知識」の定義は、めちゃくちゃ高度なのです。昔からそうですが、それはTVCMの宣伝文句とかからは絶対に手に入りません。たぶん、場合によっては大人より子供のほうが自分の教育に良いものを選び取る力があるような時代なのだろう…。
ともかく、統計というのがAIの必要条件というのは、とても面白い話で、というのは「生命とは何か?」みたいなことにも関わってきそうだからです。歴史上はじめてのDNAの生成に関しては、いろいろな研究や議論があるとは思いますが、やはり免疫とか細胞分裂とか、なにか統計学的なメカニズムが先天的に備わっているような印象があります。
AIもまた、統計学的分析により非常に多様化され、かつ「同じ川に二度入れない」のような行動パターンを成り立たせることになると思いますが、なんかそのくらいになると「生命」認定されるようなところがあって、まあ実際には「自然において、生命とは何か?」というのよりも結局「人間が生命と定義する条件とは何か?」なのかもしれませんが。
人間が生命をみなす統計学的な能力は同時に、この世界というものを成り立たせる力のようにも思えます。自分は子供の頃から「なぜ世界は存在するのか?」「なぜ私は存在するのか?」「なぜ他者と私は違っていて存在しているのか?」「本当に私は存在するのか?存在するとは何か?」とか考えても答えの出ない問題ばかり考えて、それに囚われて、大学時代もそういうことを勉強するために貴重な時間を使ってしまったりして、極めて社会的な生物として大失格もいいところでつける薬もなくひたすら狂っているのですが、いろいろなその仮説に対する答えを他者や過去のなかに探した分には、正直、割といまのところは「シミュレーション仮説」はひとつの結論のように思えています。世界のお金持ちとかが、この科学的研究に出資している、というのもあるのかもしれませんが。
結局、生命を生命たらしめるのも統計学的な分析と思考なのかもしれませんが、世界を世界たらしめるのも同じかもしれません。というよりもまあ、世界と生命の境界線なんてないのかもしれません。どちらも同じ原理が働いてるので。
そしてその一番の基本原理はそのような統計的な世界観を成り立たせる数式(プログラミング)のような気がします。
ロジャー・ペンローズの考え方には「プラトン的世界」という世界観があって、それはまさに古代ギリシアのプラトン、そしてプラトンが影響を受けたと思われるピュタゴラス派およびオルフェウス派の世界観であり、数がアルケーであるということで一致します。シミュレーション仮説は正直、このように極めてピュタゴラス的な世界観だと言えるのかもしれません。
確かに、世界は数学、といっても、数学は世界の本質を人間の色眼鏡で見た場合のものでしかなく、ヴィトゲンシュタインやゲーテルのように、というよりももっと言えばカントが言っていたように、「世界を見る目」を見ることができず、色眼鏡なしで世界を見ることができないのです。数学を通して人は世界の本質を見れるかもしれませんが、数学は目であって目が見えている世界のほうではないのかもしれません。
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