Bathys Pyramidos
占星術は、常に幸せになるための研究なのですが、だからこそ同時に「幸せって何?」という疑問は常につきまといます。
現実的に食料が尽きてしまう可能性を持つ人や、戦争が起きていて殺されるかもしれない人の心配と、成功者が明日のパーティで良い人と出会えるかとか偉い人とうまく仲良くなれるだろうかといった心配とでは、規模が全く違うと言えますが、改めてそんなことを問う意義は全くありません。
でも、はじめはこんな仕事がしたい、という気持ちで将来を考えていたかもしれませんが、やがて、そもそもこの人生をさっさと無難に終わらせたいという気持ちになってきます。仕事で疲れて、でもそれがまだまだこれからの人生も続くんだと思うと、そもそも人生が早くおわんないかなという気持ちになってきます。本当に生きて行くのに必要なお金の分だけで。疲れた分、リフレッシュしたいと思っても、仕事の収入も大したことがなく、生きていくにはやはり節約するしかないという気分になり、より一層人生に何もなくなります。
基本的には、世界はシミュレーション仮説で言われているようなことがかなり正しいんじゃないか、と自分は勝手に思っていますが、その仮説で言えば、プログラムとしての「私」という視点からすれば「私の人生」はあまりにもしんどいと感じる次第です。仕事をしだして、はじめて知ったのは「何かをする」よりも「何もしない」ほうが疲れるということでもありました。ただ、どちらも過剰だときついというだけです。
でもそんなんは、その人が仕事に何を求めているか次第かもしれません。占星術で言えば、10室やMCがどうなっているか次第かもしれません。
その意味で言えば、最近、ヴィトゲンシュタインについて、もっとよく知りたいと思うようになりました。なぜなら、結構人生が面白いように感じたからです。彼の著作や研究者たちに対する自分の勝手なイメージやちょっと知っただけの印象や「語り得ぬものに関しては、沈黙しなければならない」の言葉の印象を勝手に思い込んで、何かもっと堅物でマジメで、アカデミックな気質の人だと勝手に思い込んでいましたが、全く逆でそんなことはなかったようです。
実際に、フィチーノが「憂鬱」は哲学者に不可欠なものだと言ったように、ヴィトゲンシュタインもいわゆる兄弟が複数自殺していて、自身も自殺衝動とかに悩まされることにはなりますが、親の遺産を受け継いで、結構自分の好きなこと(学問)をやって過ごすみたいな人生だったようです。
ヴィトゲンシュタインのホロスコープを見ると、2室に燦然と輝く状態の良い木星が特徴的です。荒涼とした大地をイメージさせる山羊座ではありますが、金運に関してとても頼もしい配置です。
なぜ2という中途半端な数字が、もっと言えば占星術ではエネルギーが強いとされるASC/DSC、MC/ICいずれからも遠い4地点(2, 5, 8, 11)という地味な室が、これほどに人生を左右するのでしょう?
占星術では、MCなんかはその人のホロスコープ上の最も力強い地点として紹介されます。MCに一番近い星やMCの星座は人生の導き手のように扱われ、MCに太陽や木星や金星があることは、さらなる力強さをそこに付与するように言われます。
しかし、人生における「幸せ」とは、「仕事の成功」なのでしょうか?
苦労をマイナス、幸せをプラスとして考え、人生の線分の中の総数を足したとき、苦労して成功した偉大な指導者よりも、例えば一生ニートで暮らしていける十分な財産を持った人のほうが、幸せのポイントは高くなるのではないでしょうか。
その意味では、MCとか、「人生の目的」であるノースノードとか、そういう欲求段階説における「自己実現の欲求」の段階よりも、もっと基本的な下層の欲求が「絶対に侵害されない」ことが幸せと呼ぶような気がします。
幸せは、ダークソウルのステ振りと似ています。ダークソウルでは、例えば筋力が5→15へと加算された時の攻撃力の増加量が50くらいだとしたら、30→35あたりになるともう20くらいしか増えないし、90→95のあたりはもう3くらいしか増えなかったりして、降下線を描きます。
前述の欲求段階説のピラミッドも、上に行けば行くほど「幸せ」の増加値が減っていきます。欲求段階説がレベル1から100まであるとして、レベル1から10は「幸せ」が100増えるけど、レベル50から60はもう30くらいしか増えないし、レベル90から100になったらもう5くらいしか増えないかもしれません。そのくせ、「欲求段階」すなわちレベルを上げるのは難しさは上も下も変わらないのです。
すなわち、レベル90から100になれる力(MC、10室、ノード=欲求段階説のピラミッドの上位)よりも、レベル1から10になれる力、生きて行く基盤(欲求段階説のピラミッドの下位)である2室とか4室が重要なのでしょう。
一応、救済処置…になってるのかすらわかんないですが、アストロマップの理論においては「生まれた場所移動」でそれは可能になり、例えば日本で2室がスッカスカでも、3室くらいに木星があるのなら、東南アジアかインドくらいに移動したら2室に木星が入ることになるでしょう。今いる場所で、9室くらいにあると、2室にくるのは地球の真裏になってしまいますが…。
とにかく生きて行くのは疲れます。疲れないって人もいるかもしれません。脳は記憶によって体に炎症を与えます。正直、過敏性胃腸症候群とか、強迫性障害、普通の人より疲れるような感覚は、これで説明できるとは思っています。なので、本当に「疲れ」は精神論ではなく、物理的現象として個人差があります。実際に外部から見えない内臓に炎症が起きていて、脳の働きによっては人の内臓の炎症の数が違うんだから。
「疲れ」が強い人間としては、欲求段階説の下の方が崩れないように生きて行くのすら、疲れます。だからとにかくその最下層である2室を強化したいですね。
時給が上がれば、労働時間が減ります。贅沢ができるよりも、苦しまないほうがマシです。私は自分が生まれたという事実を全力で否定したいところですが、その事実に対する適切な対処は、もはや探求しても答えが見つかりません。
ただ、いま自分が現実のもとにあり、実際その現実で今まで起きなかったことがいくら起きてくれても構わないのですが、現状は脳がストレスに対する反応としての自傷行為である体の炎症を減らし、かつ、生き延びることが人生の目的です。
この曲の歌詞が好きです。「好きに食べるし、どこへでも行く、心から言えるわ、私最高なの」ってなりたいですね。炎症を減らしたいのです。
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