セラフィタ=セラフィトゥス

 こんな話、結構ぐっときました。ちょっと古代ギリシアの文化のことも思い出しました。でも、争いが少なくなるデザインとか、争いが増えるデザインみたいなものはあるのかもしれないとは思うので、争いのなくなるデザインや物語が圧倒的多数になるならば最高だと思います。占星術で言えば金星と火星の状態、ユングで言えば、アニマとアニムスの量や方向性、LGBTとかそういうレベルではなく、個人の性別に関係なく、恋愛対象に関係なく、男性女性の元型のようなものがあります。

 LGBTとかジェンダーの用語は、化合物の名前のように色々くっついていくメタル音楽のジャンルみたいに意味わからんくらい分岐してるし、あとはどんなものでもそうですが、たぶん商業主義的なものとも重なって、変なポリティカルコレクトの炎上商法とカニンガムの法則、言論統制みたいになってきているかもしれないのは、あまり良い傾向とは思えません。


 ちなみに、古代ギリシア文化のことは、この現状にも関係があるかもしれません。古代ギリシアはパイデラステイアの文化とも言われており、そのパイデラステイアは「少年愛」と訳されます。

 しかしこの訳はかなり不十分だと思っています。まず一つ目に、「少年愛」ではなく「少年少女愛」です。パイデラステイアはパイデス「子供たち」(単数形でパイス)という意味の単語から来ていますが、この単語は男性名詞でも女性名詞でもなく中性名詞で本来、女の子も男の子も両方意味します

 このパイデラステイアのパイデとは英語でいえばペドです。すなわちそこにフィリア「愛」を接続してペドフィリアです。ペドフィリアを「少年愛」とは訳さないでしょう。

 このギリシア語で「少年愛」と訳されたパイデラステイアのパイデスが「子供」ですが、「子供」というギリシア語は同時に「教育(パイデウオー)」「遊び(パイゾー)」などの隣人です。「少年愛」という言葉から「教育」「遊戯」という言葉は連想されないのですが、少年愛の元の意味である「パイデラステイア」からは「教育」「遊戯」という言葉がその中に含まれています。

 英語で「教育学」を「ペダゴジー(Pedagogy)」と言いますが、このペダゴジーの「ペダ」がペドフィリアの「ペド」でありまたパイデラスタイの「パイデ」であり、ギリシア語の「パイデス(子供たち)」です。


 この訳により古代ギリシアはやたらとBL世界だと思われています。これはある意味、スーパーマンがバイセクシャルだとされた公式設定の漫画が最近もニュースになっていましたが、それが良いとか悪いではなく、古代ギリシア文化にも同じことが言えるんじゃないかなあと思うだけです。

 今後もし世界の文明が一旦滅んで、その後の文明が私たちの文明の遺産を探した時、奇跡的にこのスーパーマンの漫画だけが異常な保存状態で残っていたら、「昔の人たちは、バイセクシャルだけだったんだなあ」と思うでしょう。古代ギリシアも同様です。

 あとなんかいつも思うのは日本の「目玉焼き」という食事とかも、その言葉の意味が失われたらいつか「この時代の日本人は目玉を食べる食人習慣があった」とか言われるんじゃないかな、なんて。

 または、現代の統治者の正当性のために前の時代の風習を蔑む文学・翻訳の風習みたいなのも、時々あります。キリスト教の歴史などでは、それは顕著です。ファーマシー(薬屋)を「魔女(Witch)」または「占星術(Astorology)」と訳した近代キリスト教聖書のトンデモ翻訳が、「魔女狩り」の嵐を作ったわけなのです。

 そのように、翻訳が歴史を作っているのです。純粋に「少年愛」とだけ訳されてしまったこのパイデラステイアという言葉は現代でいうなれば「ロリコン」「教育」「遊び」という意味もまた本来一緒に含まれなければならないものなのです。

 ただ、このようなパイデラスタイの趣味を持っていたであろう者たちのギリシア文学では、花輪でかわいらしく着飾ったおっさんとかがしょっちゅう出てくるんで、この記事のように、「男の子を女の子らしくする」みたいな文化風習は容易に連想させられ得るものではありますが。


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