Rein-carnation


 ある意味では、自分が最も長く関わっている職業は教育関係です。自分はどうしても懐疑主義者で、同時に自分や他人の苦しみとかそういうものがその懐疑主義者の思考をより増幅させてしまいます。つまり、仕事をするとかよりも「どうしたら、教育はもっとよくなるだろうか?」と考えてしまいます。

 ただ、そのような疑問は多くの人にとってなんでもないことだというのもわかっています。上から指定されたカリキュラムが絶対であり、教員の多くはそんなこと考えている暇はなく、学生も同じくよりよい教育を受けるよりも大学に受かるための苦しみをより受けたいと考えている現状です。


 シュタイナーについて、大学の時代にずっと学んできました。学校を見学させてもらったり、縁があって、日本にシュタイナーを紹介したと言われる代表的な人物たちとも会ったりすることもできました。

 だから同時に、シュタイナー教育が極めて個人や自由を大事にするために、それと対照的な「普通の学校・普通の受験」という教育の場に適応することが難しくなるという指摘も昔からずっとあり続けています。

 個々人の「よりよい教育」と何か?は明白なのですが、ある意味ではその個性や幸福を伸ばしてあげることは無菌室に住まわせるようなものであり、不条理・非合理性・競争・画一化・苦労への賛美といった凶悪な疫病だらけの現代社会を生きられないとする考えです。

(*もちろん、菌は悪者ではなく、むしろ菌に多様性があったほうが健全・健康どころか腸内細菌業の多様性によって人は幸福・免疫上昇等を感じるほどなのですが、一応通俗の語彙の意味として。)


 ただ、その人にとって、人生の幸福とは何か?は、何も無菌室から飛び出して免疫を増やしていくこととは限りません。あとあと年を取ってから苦労する、といっても、自分の知り合いには、30歳になる前に亡くなった友人もいましたし、小学生の頃にもそんなに親しい相手とかではなかったですが同級生が亡くなったりしていたのも覚えています。「あとあと大変だよ」の「あとあと」が必ずしも存在するとは限りません。


 もしも、永遠に無菌室のなかにいられるならば、外の世界に適応するショックばかりの人生よりも幸福です。ただ、社会的には疫病だらけの世の中に適応することを「健全な生き方」と呼ぶ傾向はあります。

 でも本当は、ただ普通になるために苦しみ続けるよりも、らしくあるために道を外れるほうが、理想論ですが、人生の線分のなかの幸せのパーセンテージのようなものを数値化した場合、高くなると思います。

 人は人に、その人生の幸せのパーセンテージを下げる行動を「大人だから」「常識だから」「立派な生き方として」として、価値観の逆転でもって推奨し、すなわち悪を、不幸を推奨します。(ニーチェが言っていることみたいですね。)


 社会に対しては、その人の苦しみの多さで人を判断することをやめてほしい、と常々思います。受験とか勉強とか、勉強の持つ「知識・学び・有用性」といったことからあまりにかけ離れています。これだけ時代の価値観や知識・科学的発見・哲学的思想傾向が変わってきているのに、一部の勉強する科目のカリキュラムは戦後すぐくらいのものって感じのままです。本当に学ぶべきことが、古臭い知識のために脳の記憶野を圧迫されて、ないがしろになってしまっています。


 苦しみの多さで人は競争し、苦しみの少ない人間を見下し、見下すという精神的な行為のみなら、その人は開き直って堂々と生きれば済むのでそれでいいですが、苦しみが少ない人に対して、苦しみが多い人の連合は、物質的な分配供給を少なくして、生き延びられなくする傾向すらあります。

 苦しみによって人が発展すると、科学も宗教も信じているからです。アンチテーゼがなければ進化がないと思っているのでしょう。

 だから、常にこの世が一切皆苦になっています。前述のように、全てが無菌室のなかで行われれば、一切皆幸ではあるはずです。しかしこの世はどうしても無菌室のなかに疫病が自然発生してしまう物理法則のようなものがあるようです。


 逆に言えば、人は前進している必要なんてありません。でも常に、すべての神話は「黄金時代」からはじまり、そのエボリューション、前進・進化のエネルギーによって幸福は破壊されてしまいます。

 すると結局、幸福とは「求めないこと」となってしまいます。よりよくなろうとすると、黄金時代が壊れ、無菌室は疫病だらけになってしまいます。

 心の静止はヨガや仏教のすべての願いであり、悟り・ニルヴァーナといった言葉でその境地を表現しています。そのためには振動という物理法則に影響を受けない必要があって、すなわち物理法則を超えなければなりません。そういう物理法則以上の体に個々人がなれるのかはわかりません。

 ただ、ある種理想的な教育があるのはわかります。人を永遠に無菌室で育て、無菌室のなかで死ぬことで、ただ幸福だけがあるような人生も、本来実現すべきです。ただ、その受け手も、施し手もまた、抑制されているのでしょう。人間は、そこまでして「進化」しなければならないとでもいうのでしょうか?

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