失感情症と共感能力

 失感情症(アレキサイミア)は、感情が無意識レベルで機能しなくなっているために、社会的には共感性や自己感覚の欠如で病気になりやすいといったものをさします。共感性がないので、部分的にはサイコパスやソシオパスとつながるようなところもあるかもしれないものです。

 すなわち、自己内感情の欠如は、共感性の欠如だとも言えるわけで、問題点はそこにあります。何らかのトラウマにより感情の表現が封じられていて、そのために、例えば成長期に相手の感情を読み共感し相手と良い関係を築くというスキルを取得することができなかったみたいな状態を言います。

 相手の感情を読むことができないので、相手の好きなものを否定したり、ちょっとした不満で攻撃性を全開にしてしまったりします。その点で、失感情症とはいっても、自分の感情がないというよりも相手の感情を読む能力がないということのほうが生きにくさの原因として前に来るような気がします。

 失感情症と診断されるレベルとかではなくとも、ある種この共感性の欠如という傾向をもった人は、度々出会うことがあります。


 ただ、例えば現在、マスク生活がはじまってもう1年8ヵ月とかそのくらいな感じがします。そこで、幼少期に他人がマスクをしていることで、子供たちが「感情を読む能力」が欠如する危険がある、とすでにいろいろなところで言われています。

 家でまでマスクしている人はそんなに多くはないとは思いますが、外で会う人は皆マスクをしていて、視覚的には表情が読むのが困難になります。トラウマや虐待といった要因でなくこの要因による失感情症の傾向がある世代というのも場合によってはありえてしまいますね。

 その意味では、そのように感情を読むことを学ぶ機会が多少欠如してしまった世代には特徴として、現在の失感情症のひとたちと似た悩みを持ったり、他人との距離感を感じるようになることもあるかもしれません。


 社会生活においてどれほど共感性が大事かわかります。大人になると「空気の読めない発言はしない」というルールを人は自然と身につけます。それは共感性とそれによって得られる友好関係のためです。相手の好きなものと自分の好きなものが矛盾している場合、お互いにそれについて語らないようにして関係性がこじれないように我慢します。代わりに、それが共通している相手をうまく見つけて、その人とそれについて語りまくるのが良いでしょう。

 しかしもちろん、そういった共感性のルールを平然と打ち破るような相手もいるわけです。


 その意味で、最近人気、または宣伝に非常に利用されているというべきとあるyoutuberまたはインフルエンサーと言えそうな有名人がいますが、発言からはこの失感情症の傾向を強く感じます。

 また、そういった有名人のフォロワーまたは支持者が多いことから、これはいわゆる「空気読め社会」への不満と解釈すべきかまたは「失感情症者」がすでにものすごく増えてきているというべきなのかは、よくわかりません。

 それに関して言えば、その有名人はカニンガムの法則をまさに利用しているという指摘もありました。簡単に言えば、それは炎上商法です。「人は正しい意見よりも、間違った意見への修正のほうがより関心を持つ」ということです。正しいことを言っても人気にならないけど、いい加減なことを言って炎上するほうが人気になるわけです。


 実は、失感情症にはおそらくその炎上商法がつきものなのだと思います。「間違った意見への修正」の欲求は、必ずしも知識や情報に限りません。倫理・道徳といったものも含まれます。

 失感情症には共感性が欠如しているので、前述の「お互い友好的な状態を保つ方法」としての倫理・道徳が欠如しているという特徴があり、そこへの修正でカニンガムの法則が発動し、失感情症の相手がとても気がかりになります。

 その意味で、失感情症は「常識的で倫理的に安全な人」よりもとても注目を集めるでしょう。しかし、無意識の炎上商法なので、攻撃性という意味で注目を集めるでしょう。そうやって人気を集めることにはなりますが、そういう人の行く末ってどうなるのだろう、とも思います。


 ただ、失感情症はある種感情を必要としない学問や仕事にはとても役に立つのかもしれません。自分の経験として、いわゆる大学の研究や学会というものと関わりがあった頃、その分野で出会う人は極めて共感性が欠如している人が多すぎると感じていました。自分は真逆で、感情が豊かすぎてこの業界とうまくやっていけない感じがすごくありました。

 とは言えある意味では、共感性が足りない人同士でうまくやっている(?)共同体でもあるかもしれません。感情が不要な学問の研究という共通の興味の対象があるからこそ。感情に労力を使わずに浮いた労力を、かわりにそのような学問に注力することができるわけですね。


 そのような失感情症の逆で、感情豊かな人間であればあるほど、感情の共有は人生にとって核心的な価値観になってきます。そういう人間にとっては、共感性がある相手との会話は人生最大の至福である代わりに、共感性のない相手との会話はお互いに徒労だと言えるでしょう。

 すなわち、失感情症の人には、そもそも「カウンセラー」が必要なのか?とすら思います。共感性が幸福のうちどのくらい比重があるかは人それぞれで、その比重が大きい人ほどカウンセラーは効力を発揮すると思いますが、共感性を必要としないならカウンセラーもおそらく必要なく、何かその人が興味のある情報の新しい提供者のほうが価値があるでしょう。


 失感情症の増加は、ある種の人間の「住み分け」をあらわしているかもしれません。感情の共感が大事で、しかもそのスキルが高い人同士で集まれば、仕事の満足度はあがるでしょう。ですが、共感に比重をおかないならば、そのような環境は特に何にもなりません。

 共感性が欠如しているならばそれに応じて感情を必要としない、すなわち感情が豊かな人にできない仕事に能力を発揮するでしょう。そういった住み分けがなされず、家族だからとか決まりごとだからといって一緒になっているのが問題なのです。

 藤子不二雄短編集の憎まれ屋の話を思い出しました。しかし善悪二元論・優劣といった思想なく、「住み分け」ができることがとにかく大事だとは思います。


 人とこの失感情症、アレキサイミアの話をしていたら、その晩夢にアレクサンドロス大王がでてきました…。

 アレキサイミア(alexithymia)のalexとアレクサンドロス(alexandros)のalexは同じ言葉です。レキシコン(百科事典)のlexi=logos、すなわち言葉に否定の-aがついて「言葉がない」という意味です。thymiaは「感情」で「alexi+thymia=感情を言葉にできない」ということです。

 ですが、「言葉がない」というのはある意味で「言葉にならない(ほど素晴らしい)」という意味にも転じることができます。なのでアレクサンドロスはおそらく「alex=言葉にならないほど素晴らしい andros=男」です。

 thymiaのほうは語源は印欧祖語でdhewh「煙」の意味があります。thymiaにとても似ていると思うのはtherm(風呂、温める、テルマエ)です。こちらの語源は印欧祖語でgwherで、響もやはりなんとなくdhewhと似ていると感じます。日本語でも、「暖かい心の持ち主」と言うかもしれませんが、感情とはやはり「加熱」なのかもしれません。

 温泉(テルマエ)に入ると副交感神経優位=穏やかになる=寛容・共感性が高まる=暖かい心、とも言えるかもですが。もちろん、加熱しすぎると怒りになるかも。

 失感情症の発言への炎上というのも面白いですね。感情=thymia=熱(therm) が足りないから 火をともして温めて感情を追加してやろうという感情みたいな…いや、カニンガムの法則は、そんな親切心って感じの行動じゃないかもですが。

ᚠᛚᚪᚵᛋ ᚠᛚᚪᛪ ᚠᛟᛞᛞᛖᚱ ᚠᚱᛁᚵ

Flags Flax Fodder & Frigg

0コメント

  • 1000 / 1000