"風の時代"を考えるとき
【UG# 105】国民全員に毎月11万円支給!フィンランドの社会実験ベーシック・インカム / OTAKING talks about "The World of Basic Income"
コロナ前のフィンランドのベーシックインカムの実験結果から、ベーシックインカムのメリット、デメリットって感じの解説を、さらにコロナ後の今年2月くらいに加えて補足って感じの動画でした。ただ、この動画で言われているデメリットは個人的にはデメリットと感じなようなものでした。
別の動画か解説かなんかでベーシックインカムについて見た時は、個人情報の徹底管理につながるとか結局インフレになってベーシックインカム意味ないですってなっちゃうみたいな話もあったり、もしそうならデメリットだなとは思いますし、現実的な問題とかもあるかもですが、ここではそういった話というよりも、
要約すると、「本当に才能のあるやつだけ社会参加」「それ以外の無能は、お金やるからおとなしくしといてくれ」的な感じ。
医療保険や年金とかは受けられなくなるので、基礎疾患がある人や障害者手当とかは場合によっては不利になるのだろうか?でもそれ以外で、例えばまじめに生きて働けどもお金がなく、ある種の不運でただ本当に生きるか死ぬかの瀬戸際にある人は、今日明日の食料の心配をしているのに、社会的にもっと地位を高めたい、認められたい、才能を発揮したい、と思っている場合ではないはずというか、欲求段階説みたいなもん?それの一番下を経験しないで済むなら、別に欲求段階説の上のほうが遠くなっても全然いいような…。
欲求段階説でいえば、上のほうにいくほど満足度の+1ごとの実質上昇倍率は低くなっていくでしょう。ダークソウルとかで、10~20くらいのステータスを上げると攻撃力とかHPとかがかなり上がるけれど、90~99のあたりのステータス上昇はほとんど変わらないくらいだったりするのと同じというか。
禅とかインド思想とかに影響されすぎかもしれませんが、質素な生活は、生命維持にマイナスになるようなこと:ストレス・病気・傷害や死の危険、飢餓、拘束状態、そういったものがなければ、それなりに満足できます。
ていうかむしろ、高校倫理でもでてくる、アリストテレスがいうようなテオリア的生活に奴隷なしで近づける気がするのです。理想論的に、食と治安さえ保証できれば、本当の意味で完全にホモサピエンス(考える人)になれるものです。
ただ、こんな議論は普通に各所あがってくるのは、風の時代!?って感じしますよ。持続化給付金みたいなこともあり、昔よりは多少現実味をおびています。
ワクチンパスポートとかの議論もあり、二極化。どちらが真実であるかというよりも、思想と無意識の感情がリンクして、人々が精神的により一層相争うようになりました。「何が真実であるか」で皆が争っているのはもちろん歴史上の多々ある宗教戦争と変わりはしませんが、何かもはやこの世から「真実」が消えたように思えます。あとは、パースペクティブだけが残った。
あとに アイだけが 残った (楳図かずお『わたしは真悟』最終巻)
見えないものに対して、宗教のように情報の印象から感情的に流されるか、客観的に理性を持って考えるか。ただどちらの立場だろうと、人間の認識には限界があり、経験にも限界があります。客観的にみても、真実味のある情報は複数の立場を持ち、権威の宣伝で対立が煽られてはいます。
ただそこに、もはや地の時代のような「確証」はもう風の時代にはないようです。「真理」ではなくもう「空性(舜、シュンヤター、カオス)」です。
エレメントについて考えるときは、タロットカードの原理はとても参考になります。もちろん、ギリシア哲学的には四大元素すなわちリゾーマタを、プラトンのティマイオスでいえば幾何学的に考えられていたり、いろいろありますが、地の時代から風の時代への移行、すなわち地=ペンタクル から 風=ソード のスートへの移行というのは、「確固たるもの」「コモンセンス(コイネー)」の崩壊に他なりません。
ソードのスートは、実際そんなに出て嬉しいもんでもないです。多くが「傷つき、別離、隔絶、生まれ変わる、断捨離、あきらめからの出発」といった意味が多いからです。
風の時代は、そのようなソードの意味になるので、分離、違い、そういったものを体験することになりますが、同時にその理由としてひとつの全人類普遍的な確証があり、そこに人が集まる時代でなくなったということです。実はきっと、いままでもずっとそうだったかもなんですが…。
もしも「違う者」への対処みたいなものも、変わっていくなら、風の時代と思えます。地の時代は「違う者」を攻撃し、「違わない者」へと改宗する力があり、そこに安定性がありました。そしてそれをペンタクル(お金)がなしてきました。
でもペンタクルが過去になり、ソードは「違う者」同士が別れっぱなしになります。理想としては、それらはほったらかしになります。もしそうなるのなら、より風の時代って感じがするかもしれません。
違うものは違う、以上。わかりあえない。で、終わり。それを団結させるツール(お金)はもう必要ない、生き延びるための最低限の生産体制はできているから。神の見えざる手みたいに、食料生産の最低限の供給と、最低限の治安のための性善説が必要ですが、そこの効率化と安定ができてんなら、本当にもう次の時代に進化へと進むべきです。
「必要の迫られてやる」生産から「個人的な意思のためにやる」生産へ行きます。そして意思がないなら生産しなければいいだけです。
ペンタクルには「不動」があるけど、ソードは常に動きっぱなし、傷ついては逃げてを繰り返すものです。善悪や真偽はかつてよりもずっと価値がありません。出来事によって視点が固定されないので、前よりも悟りやすいかもしれません。もし世界に「目的」があるとしたら、それにふさわしい変化です。
ユートピア思想は、常にディストピア思想から「大人の常識」という優越感のルサンチマンを持って眺められることとなりますが「違う者」同士に距離感を保てるなら、もう別々に生きていけることになります。
0コメント