むかし見た夢について。
τοὺς καθεύδοντας ἐργάτας εἶναι καὶ συνεργοὺς τῶν ἐν τῷ κόσμῳ γινομένων
眠っている人もまた、この世界の維持において共同製作者である。
(ヘラクレイトス断片90)
私は、微小な意識を持つ大量の細胞を統合して「私」と名乗っています。
私は、そういう玉ねぎみたいなものなのですか?
私の意識という玉ねぎの皮ひとつひとつをむいていったら、何も残りませんか?
ここで論理の飛躍が起こります。
玉ねぎのまんなか、玉ねぎとは全く異質のものがあらわれます。
久しぶりにお会いできました。
この方は、現実的思考のなかでは、なかなかお会いできません。
言葉で話す以上は、おまえは私ではない、と言います。
私はほんとうの私を求めているのだ、と言います。
ただ私はそれでも、あなたと私が交差する地点、
その時、私が私である確率と、あなたである確率が
同時に存在するような地点を探し求めています。
なぜなら、そこに美しい快楽を見出すからです。
言葉の奥には、常になにかがいます。
空気振動、記号論、ニューロンの産物以上のなにかがいます。
だから、言葉の意味で伝えるよりも、言葉の奥にいる何かの感情で伝える方がいい。
シャーマンの鏡の部屋のような迷宮の中にいる間は
何か夢中になっていて、地球上に浮上しないで済むんです。
飛蚊症のように、私の視界に小さな光が突然現れては、消えていきます。
そこに意味はないという意味を付与することもできるし、
何か他の楽しい意味を付与することもできます。
ああ、あなたはどこからきたの?あなたは宇宙人なの?
私は、宇宙船内に搬送されて緑色の液体を注射されたあの夢を思い出します。
あのちょっと前につけられた青色のトリアージはまだ外れていませんか?
幸運のミサンガのようにあのトリアージのことを思い出すのです。
いまや、どんな文学も、哲学も、ロジックである以上は賞味期限が短くて
生産量が追いつかなくて、今はもう全部味気ないものになりました。
新しい哲学を求めても、もうその生産ラインは閉鎖していることを知っています。
だから、遊牧民族である以上は、枯れてしまった畑を捨てて旅立たなければ。
あの沼地の呪術師を覚えていますか?
湖水地方特有の湿気の霧がかったあの、地球かわからないけどこの世のどこかで
もちろん、どの時代かもわからないけど、この世のどこかで、
この世のどこかでと言ったけどこの世でないかもしれないけど?
シャーマンになるための修行はこの世のものだから、私には関係ありません。
修行しないとなれないならば、とうていこの世止まりだからです。
私にはこのトリアージで十分です。あの世とこの世をつなぐ証だから。
もうあの土地にいくことはなくて、それはこの思考が導いた惨状で
15年以上前を自ら閉じたってなんともならないけれど。
いつでもあそこに戻ってしまったっていい。
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