Cogito1 / ψῡχή1 + Cogito2 / ψῡχή2


 木と森はどちらが真実ですか?どちらも真実です。森を細かく見れば木になり、たくさんの木を遠くから見れば森になります。どちらか片方が間違っているわけではありません。

 ただ、木と森があるとき、木と森の境目を定義するのは難しいです。それは、アキレスと亀の間に永遠の距離があることと関連があるのかもしれません。

 木と森の境目は、確かに二元論というよりも、量子力学の世界かもしれません。木から森へと視点を変えていくとき、木の地点が突然、森の地点に変容するわけではありません。

 木の地点・森の地点のほか、木と森がまじわる地点があり、その間は木と森が概念として同時に成立していて、まるで量子力学みたいです。つまり、木としても森としても「収縮」していません。

 そしてそれはこの世の全てにそれが言えます。

 では、あなたは私ですか?

 あなたという地点と、私という地点があって、その両極のまんなかには、あなたと私が両方まじっている地点があります。私であり、あなたである地点があります。

 その地点において、意識は私であるか、あなたであるか、まだ決まっていません。

 私があなたに話しかけられた時、私の意識は浮遊して、私が私であるか、あなたであるか、不確定な状況をつくりだします。


 もちろん、ここで私があなたというとき、私を観測できる別の人間のことをさすのでしょう。でも、あなたが私の外側にいるという証明はできません。

 あなたが私に話しかけているというのは、私の中のひとつの人格Aが、私の中の別の人格Bに向かって、語りかけているだけなのかもしれません。


 実際のところ、それはどちらもいいことです。私が私に問うにしても、私以外が私に問うにしても、私が問われていることには変わりありません。

 そして、その根本的な私だけが、あなたと私の両地点と、そのふたつが混ざり合う意識の「未収縮地点」を上から俯瞰できるのです。

ᚠᛚᚪᚵᛋ ᚠᛚᚪᛪ ᚠᛟᛞᛞᛖᚱ ᚠᚱᛁᚵ

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