神聖なるコモイディオス

 ダンテの「神曲」はなつかしいです。授業でちょっとだけ、イタリア語版を読んだことがあります。イタリア語では、Divina Comediaと言います。直訳すると「聖なるお笑い」です。直訳されていたらあんまり人々からまともに扱ってもらえなかったでしょう。

 コメディは、ギリシア語のκωμῳδία コーモーイディアー からきていますが、「喜劇」と訳されます。悲劇(トラゴーイディア)詩人と喜劇詩人。「祝祭」のκῶμος コーモス からきているのでしょうか。サンスクリットのカーマ(愛)との関連がでていましたが、いまいちしっくりこなくて、コメディという言葉は基本的に仮説も難しいくらいの語源不詳だと言えるでしょう。


 ダンテの神曲は、でもやっぱり、もっと古典と言われるものとは印象が違う文学です。古代ではないものの軽さかもしれません。

 文学にはなんとなく特別なエネルギーみたいなのがある文学がたまにあります。『バガヴァット・ギーター』とか、訳によってももちろん色々変わりますが、どう訳されようとも読んでいると非常にエネルギーを感じる文章です。霊能者が対象のオーラを感じるという時の、その波動みたいなものを、文学的な作品とかからも感じられるものがあります。

 オーラとか波動とかは、細分化すれば脳が受け取った印象の統合・複合処理の結果に得られるひとつの経験的アンサーのようなものかもしれません。言語活動も同様で、複数の印象を統合し、複合処理をする。まあ、意識もそうですね。

 でもいちいちそんな細かくて長い言い方をしていたらめんどくさいので、オーラとか波動とかそういう言い方をするのです。

 活動をしたら排出するのがこの世の基本原理のひとつです。意識・生命の活動をしたところで、何もその人から出てこないということはありません。なので、何かを考えている時、その複数の意識を統合し複合処理を行う活動の時、その統合体からは何らかの排出物があるはずです。それがオーラとかいうものかもしれません。

 文学にオーラが宿るというのは、もちろんその文学を観測した結果ではあります。プラトン的には、そのイデア界の産物に触れていると言えるかもしれません。イデア界もいわば記号・数学・意味の世界ですが、意味も意識と同じで、1つの意識が100個あるところでその意識を統合できる1個の意識の活動を意識と呼びますが、イデア界にある「意味」もまた、1つの意味が100個ありその意味を統合できる1個の意味が存在し、ひとつの意味をなすのでしょう。

 人間の体の各所に細胞があり、細胞に大小いろいろな個別の意識があり、その意識を脳が統合し記憶や意識が成立するように、『バガヴァット・ギーター』には様々な言葉があり、それをひとつの意味として成立させる、それは観測者なのか?それとも誰かの意識がのりうつっているのか?

 つまり、私が作品を鑑賞する時、その作品の製作者、またはミケランジェロが言うみたいに「岩のなかにすでに作品があって、それを掘り起こしている」その作品そのものの「イデア界の位置」すなわちオーラとか波動みたいなものに、私のオーラとか波動とか意識の周波数みたいなのが、磁力みたいに引き寄せられるのでしょうか?

ᚠᛚᚪᚵᛋ ᚠᛚᚪᛪ ᚠᛟᛞᛞᛖᚱ ᚠᚱᛁᚵ

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