Ψ☌ASC : セレマ

 引き寄せの法則とかでは「欲しい」ではなく「もう持ってる」でなければいけないので、何々が欲しいと思っていては叶わない。でも数年前に自分が書いたバケットリスト(死ぬまでにやりたいことリスト)をいま見返すと、いくつかがこの数年の間に達成できていることから「欲しい」と思っていてもやって来るときはやって来るという結論になる。


 そしていま、私にとって今最も欲しいものはとても明白で「苦手な波動を避けること」だ。この世で幸せというものはそこにしかない。

 自分の場合は、家にいると苦手な波動と接触しなければならないので、そうしないで済む場所に行きたいという欲求がある。

 それは今よりも感情が安定できる場所にさえいればいいわけで、今はそもそも「ひとりでいる」よりもずっと感情が安定しない状態にあるからだ。東京から帰ってきてから、健康面がかなり向上したが、感情面は乱降下状態にある。

 健康も不可欠だが、同時に感情も安定していなければ、何を持っていようが幸せにはなれない。

 そして、いまやそういった感情の安定のための手段やきっかけはすべて「私の欲しいもの」になる。転居でも、仕事でも、結婚でも、家庭状況の変化でも、目的に有意なものは全て「欲しいもの」にあたる。


 ただ、このような「欲しい」はいつまで続くのか?と思うことがある。前述のように、バケットリストで書いたことが叶っているという現状はある。

 ただ、欲しいものを手に入れて、それはそれで新たな欲しいものができるかもしれない。バケットリスト的には当時、健康が最も欲するものだったかもしれないが、いまは健康を得て、代わりに感情の安定を失った。だから感情の安定を取り戻したい。


 仏教とかで言うように、「欲望」そのものを止めないと、欲しいものを手に入ってもまた欲しいものができて不安定になるだけだろうか。軽い欲に関しては自ら律すれば終わる。しかし感情や健康の安定といった生命の根源的な重い欲に関しては、仏教哲学でも「この世は存在しない」とか「瞑想でシータ波状態になる」とかそんな手段や理論くらしか提案されない。


 ソウルメイトの引き寄せ的なものでは、寝る前や瞑想による催眠状態でシータ波的な脳波をつくりだし、その寝るか寝ないかの瀬戸際状態でソウルメイトすなわち理想の人の容姿やステータスなんかを想像して天に投げると良いといわれる。


 プラトン『饗宴』でのアリストパネスのお話は、知っているところでは最古の「ソウルメイト論」である。もともと1つだった人間が神によって2つに分けられたため、1つだった頃を求めてお互いの「半身」を探し求めるのが愛だというお話。2つに分かれたそれぞれの人間が、ソウルメイト同士なのだ。

 結婚やら恋愛に、自分の外にいる「本当の自分」を求めている。1人では未完成で欠落があるので、2人の人間があわさってお互いの「本来の形」になれるような状況を欲している。

 悪い状況下にあると、余計に思う。「これを手に入れたから、もうあとはどうでもいいや」を経験したいのだ。

 実際のところ、シータ波状態=瞑想状態にあると、セレンディピティ(アイデアの閃き)とか引き寄せの法則的なものには効果が高くなるといわれる。特定の脳波で量子もつれがさかんになるといったことがあれば、全ての原子が量子を内包している以上、それは何らかの影響を及ぼすものだろう。

 現代社会の気質的には今は全く想像できないが、量子もつれや量子脳理論およびそのミクロとマクロの境界線の位置付けがより進めば、学術的にもそういった脳波と引き寄せ的なものが存在するとより言えるようになるかもしれない。

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