♆*♇ : ハチワンダイバー現象
時々自分も何もないところをじっと見てることが多いので、友達からよく「いつもそこ見てるけど、そこに幽霊でもいるの?」とか言われていました。
別に自分の場合は、上述の赤ん坊のメカニズムようにそこから消えてしまった後も残像が残っている現象ではないのですが、考え過ぎて視覚が置き去りになっているときにそういう現象が起きやすいです。
シュタイナー教育ではよく「子供の目を休める場所をつくる」ということが大事にされますが、自分も思考モードに入ると、視覚は無意識に「情報の少ない場所」を見つけ、そこをずっと見る「目を休めて、思考に集中する」ということになる感じなのかなあと思います。
将棋棋士のひとたちのなかには「思考に集中すると、それ以外見えなくなるから危険だ」という理由で、運転免許を取らないといった人たちもいるとききました。その、思考に潜ってそれ以外が見えなくなることを、ハチワンダイバー現象とここでは勝手に名付けます。また、ハチワンダイバー現象が起きていることを、ハチワンダイバー状態と名付けます。
自分がわけわからんところを見つめている時も、このハチワンダイバー現象です。または、お店の中で、つい考え事とかはじまっちゃうと、何も物色しないで(見てはいるけど、全く認識していない)同じ場所をぐるぐるしていたりして、危険人物でしかありません。思考を促進させるために、歩くことは止まりません。カントの散歩癖みたいなもんだと勝手に思っています。
ところで、何かこういったハチワンダイバー現象のおかげで、デカルトが言っていることは、ものすごくしっくり来るものがありました。有名な言葉に、コギト・エルゴ・スム「我思う故に我あり」があります。この決まり文句だと意味が伝わりにくいですが、その言葉の意味としては、「私は私が存在すると考えている間、私は存在している」みたいな意味です。
逆に言えば、私が私について考えていない間、私は存在しているかどうかなんてわかりません。
ハチワンダイバー現象において、思考以外の情報は全く入ってきません。生理学的に言えば、認識はしていても、思考にまで届かず、捨てられている状態です。だから、そのときはある意味「思考だけが存在している」状態です。コギト「我思う」とスム「我あり」しか存在しない世界です。
ハチワンダイバー現象にないとき、私は世界に属しています。私の周りでいろいろなことが起きて、それは私の意図と必ずしも関連しません。そういう世界で起きていることを認識し、思考まで届いている状態です。
ただ、ハチワンダイバー状態にある時は、そこには私と思考しか存在しないわけなので、もはや私が世界の創造主という感じに近いのではないでしょうか。外部からの干渉で、その集中がやぶられることももちろんありますが。
♆*♇は、「魔術的」と言われる組み合わせです。いつもこれは、私にはアレイスター・クロウリーを思わせますが、今生きているほとんどの人にある組み合わせです。もう少し世代が進行したら、なくなります。もちろん、トランジットによって特別にそれが強調されているときもありますが、世代的なものだとも言えます。
アレイスター・クロウリーは「想念の力で、世界を思い通りに動かす」ということを研究した近代人です。ここでいえばしかし、ハチワンダイバー状態の維持は、まさにクロウリーの追求した世界の実現になることでしょう。
クロウリーもそうですし、ラーマクリシュナやラマナ・マハルシなんかも同じだと思います。ラーマクリシュナに関しては、伝記を読む限り、ハチワンダイバー状態に自在になれる的な人と思われますし、ラマナ・マハルシも、「対話」のなかで、よく語る境地に関しては、ハチワンダイバー状態の感じがとても大きなヒントになっているように感じます。
そもそも、インドでは思考の極限により、自らの感覚を研ぎ澄ます「ギャーナ・ヨーガ」とかあります。マハルシもギャーナ・ヨーガの境地のようにも思えますが、ヨーガそのものが、ハチワンダイバー状態になることを目的としているものだからです。
♆*♇のネイタルの誤差で霊感の強さがわかる説もあります。1年のうち、生まれた日によって誤差の数値が変わります。
例えば、自分は♆*♇の誤差は4です。♆*♇の誤差4のカテゴリーに分類されます。10段階評価くらいあって、♆*♇アスペクト誤差が0に近いほど、霊感が強くなります。なので、まあまあくらいの霊感という診断が下されます。
しかし、個人的には霊感の数値というか、同じ♆*♇が誤差4のひととは、心が通じやすい、と個人的に思ったりはしています。霊感の強弱というより、霊感というアンテナの種類の違いのように思えます。
♆*♇の誤差4がハチワンダイバー状態に陥りやすいとか、そういうことは別にないように思えますが。
ちなみに、ハチワンダイバーよりエアマスターのほうが思い出深い。「これは便所付き?わーい」と「例えばお前がその昔、捨てられて凍えている子犬を助けてたことがあるとしよう、でも死ね」はずっと覚えてる。世代が…。
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