πυΘαγοραζω

 頭痛くなるようなことは、実はあんまり考えたくない。そんなに強い人間でもない。

 でもまあ、時々、世界のはじまりと終わり、人間の意識とは何か?宇宙にとって意識とはどんな存在か?について面白い話をふと誰かからきくと、専門性、計算力、そういった知識を越境して、その話について、もっと深く知りたくなる。

 知り合いからの話もきっかけとして、またそこから転じて、この本なんかを、ちょっと立ち読みしたりもした。

 スピンネットワークやら、量子脳理論、専門家でなくともわかりやすく理解できたら、と思うけれど、なかなかうまいサイトはなさそうだ。

 後ろの世代で完成すればいいではなく、自分の人生の命の期限内で世界についていろいろ理解したいので、自分の人生の制限時間を超えてしまう実証性にはそれほど興味はなく、そのため緻密な計算には興味がない。ただ、その制限時間内で、世界に関する面白い解釈、コペルニクス的転回になってくれるものを、なるべく多く聞きたいという興味につきる。

 それでいえば、スピンネットワークも、理解できているのかできていないのか、よくわからないが、観測という行為が量子の質量(エネルギーの高さ)に影響を及ぼす、という感じは、自分の中で世界観に強く影響を与えている。

 もはや自分は、意識とか、脳で起きていることとかは、正直量子レベルの出来事であって、ニューロンやシナプスといった素粒子のミクロコスモスからしたらマクロコスモスにあたる世界「だけで」理解できるものではないというのは、当然のように考えている。

 だから、人間の意識とか意思、思考、想像、そういったものは量子力学であり、また量子力学である以上、量子もつれを起こしたりすると考えてしまう。そして、人間のそういった精神活動が量子なのだから、量子のスピンネットワークに質量(エネルギーの増加)をはたらきかける「観測」という行為もまた、量子力学であるというふうに、もう思い込んでいる。

 例えば、今、意識や意思、思考や想像、共感力などもろもろ、脳が持っている機能としてそれが説明されている。けれども、その「脳」の計算力?みたなものには、個人差がある。量子脳理論で想起されたのは、量子コンピューターのことだった。

 数学的なことは、全く自分にはわからない。けれどもまあ、例えば将棋のAIとかで、コンピューターの性能が良いほうが勝負強くなるのは当然で、またいわゆる普通のコンピューターより性能が良いのが量子コンピューターだ。

 古典力学ではなく、量子力学の世界の計算方法を応用したら、要は計算能力があがるということだと思うが、実際人間の脳の能力差?みたいなのも、同じように古典力学と量子力学のような違いはあるかもしれない。


 なんというか、私たちが見たり、感じたり、予測したり、量子力学を使って「私」は「世界」と触れ合っているのだから、人間が経験や知識を増やして行くのは「量子もつれ」を増やして行くことであるということ。また「質量を持つ」ということは、はじめは、質量のない想像の産物のようなものに対して、観測という行為が累積していくことでマクロコスモスの「物質化」していく、そんなモデルを勝手に想像してしまう。想像上の存在も「観測の集中」によて量子もつれ力みたいな感じで、物質化できるのだろうか、と。

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