カリユガ:♄▫︎☉
土星と太陽のアスペクト、♄▫︎☉は、ネイタル(生まれた日のホロスコープ)にあると苦労の多い人生という意味に解釈しそうですが、トランジットで、♄▫︎☉が来る時期は、「昇進」を意味します。
ネイタル土星とトランジット土星のアスペクトは、生まれてから必ず何年後、と決まっているので、♄▫︎♄, ♄☌♄, ♄☍♄, それぞれがやってくる年は、土星周期29.5年=29歳にサターンリターン(♄☌♄), その半分である14.75年=14歳に♄☍♄、そのさらに半分である7.38年、つまり7年プラスマイナスして、7歳と21歳、それぞれに♄▫︎♄ということになります。
土星や地球の軌道がきれいに1年で1周とか規則的な運動ではないので、個人のズレというものはあります。
どっちにしろ、土星はそのように生まれてきたから何年後が土星が強くなる日か、わかるんですが、例えば土星と太陽のアスペクトの場合は、その人の誕生日が左右するわけなんで、いつ♄▫︎☉, 昇進のアスペクトがくるかは、天文暦みたりツールで計算しないとわかりません。
まあ、それがいつになるかは、そのように計算でわかるんですが、ここで「昇進」ということが、占星術でどう扱われているのか、というのが面白いところです。♄▫︎☉が昇進なのですが、♄▫︎☉は、「吉・凶」で言えば、「凶」です。
なので、昇進は人生のなかで「凶」なのです。占星術の「吉・凶」とは何か?という問いは同時に、人間の人生というものを根本的に哲学的に理解しなければならなくなります。
昇進という出来事が凶である、という解釈は、ヘラクレイトスの言葉を思い出します。
「戦い(μαχη)は万物の父である、万物の王である」
という言葉が、ヘラクレイトスの著作の断片として残っていたと思います。
ここで「戦い」と訳されているギリシャ語のμαχη(マケー)という言葉は、同じギリシャ語で、mega(大きい), macro(長い), あとサンスクリットでいうmaharaja(大王、マハラジャ)のmaha(大きい)、英語のmake(つくる=広げる), ドイツ語のmachen(英語のmake), Macht(権力、力)などがあります。
ちょうどニーチェの代表的著作『力への意志』がドイツ語でWille zur Machtと言いますが、 "Macht(マハト)"で"μαχη"と同じ由来の言葉を使っているところに、古典ギリシャ文献学の大家であったニーチェの含ませた深い意味を感じるところです。
ともかく、このμαχηには、「広げていく」という意味があります。そこから力、権力、戦いといった意味に訳されることになりました。ここでヘラクレイトスがいう戦いとはつまり、自分の領土(ナワバリ)を広げていくことです。人間もやはり、闘争本能が刺激されるときというのは、自分が持っていないものを相手が持っていたり、自分のナワバリが侵略されるときです。そのような時に、自分のナワバリを広げて防衛線をはったり、欲しいものを得たりする。そのための「広げていく=戦い」とも取れます。
また古代ギリシャ哲学は、いわゆる「理論」に関しては現代物理学に通じる世界観が確立されていたので、エントロピーの増大と収縮や、宇宙が広がっていく、ビッグバンの理由なんかにつながるイメージもまた、この言葉から連想させられます。
ともかく、この「戦いこそこの世の本質」というこの言葉を実感するのは、世界を見ている時というよりも、人と関わる時に思います。もちろん、この言葉を全く実感できないような闘争性のない聖人のような人というのも、結構いまして、そういった人たちとの関係性は、この世で最も心地よいものです。
ですが、この世の多くの人は「闘争・競争」を必要としています。もちろん、好きで「闘争・競争」している人は、本当にごく限られた人たちだけです。多くは、誰かが「闘争・競争」しだすと、それに対抗しなければならないので、本当はそんなことを望んでいない純真な人たちも巻き込まれ、強くならなければならなかったり、または犠牲になってしまいます。
「社会人・仕事をする」というものの仕組み自体が、その原理のもとになりたっているのが、この世のもっともひどいところだと思います。
そのように「闘争・競争」する機会が増えるというのが、ある意味♄▫︎☉「昇進」であるという感じもします。土星は責任の星です。人生に責任が増える機会が「昇進」です。その意味では、これは凶と言われても仕方がありません。
ごく少数の人間が趣味ではじめた「競争」に多くの本来平和主義で賢い人たちが巻き込まれ、戦わざるを得ない世界。社会で美德とされている多くのことは、哲学的に、根本的に、広い視野で考えると、「凶」でしかないことも、たくさんあります。
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