マグナエ・カルタエ
10月くらいに引いたカードを写真とってあったの思い出しました。まあ、良いカードひいたんで記録残してただけかもしれんですが。ガチャか。自分の人生に関するリーディングで引いたのか、これからの未来について引いたのか、ぶっちゃけ覚えてないです。
占星術やってるんで、カードも基本ホロスコープ引き(12室+中心テーマ1枚)でやってます。割といつも、2室部分(写真でいうホイールオブフォーチュン)がスターとかでてきやすくて、優れているようです。実際自分も出生図ホロスコープで何が一番良い場所かっていったら2室なんで、シンクロするのは面白い話です。
上のカードで注目すべきは、2室ホイールオブフォーチュン、6室スター、11室のラヴァーズと4室のカップの2、10室のソードの5、まああと中心にエース、5室, 7室, 12室のペンタクルあたりかと。このカードは、ペンタクルがドラゴンボールに見える。
10室のソードの5は、なんとなくこの頃と今とで4ヵ月の間に、働き方、関わっている人とかが結構変わっているんで、なんとなく象徴的です。これを引いた少し後くらいから、仕事のあり方がだいぶ変わってきました。
個人的に最近ようやくちょっとずつわかってきたインド占星術では、ハウスの吉凶がかなりはっきりとしていて、西洋占星術に比べると、コレはダメ!これはラッキー!がすごくはっきりしています。
西洋でもインドでも2室は財産で、正直ここが安定していることほど素晴らしいことはないような気がするんですが、吉ハウスの意味が、実はそこまで高くないところが不思議です。
ケンドラとトリコーナすなわち1-4-5-7-9-10ハウスが良いことになるし、まあ11室が到達点的な意味で重宝されたり。考え方により色々だとは思いますが、その意味では2-3-6-8-12あたりは価値が高くない感じにされている気がします。
インドとかでは確かに、バガヴァットギーターにせよ仏教にせよ「物質に執着してはならない」で物質を超えた空の世界、精神の量子テレポーテーションみたいなののバタフライエフェクトを大事にしろ的なところが強いので、2室はお金の豊かさですが、物質への執着にもなれるんでしょうか。だからインド占星術とかヒンドゥー教と同じ文化的根底にある以上は、お金が最も大事な地点とされることはなく、人生の「サブ要素」みたいな感じにしか扱われないのでしょう。
仏教や、ヨーロッパの修道院なんかでももちろん、物質に執着してはならない、清貧という感じが尊ばれます。ヨーロッパの修道院は、西欧での発展にも色々ありますし、ギリシアでの修道院もあり、またさらに古くたどれば、インドのバクティ・ヨーガの影響も言われ、インドの根底にある文化ともつながっています。実際、キリスト教の歴史では、ヨサファトという聖人が、ブッダのことなのではないか、と言われているくらいです。
また、インドという言葉も、そもそもギリシア語(ινδος)ですが。(インドはインドのことをバーラタとかいろいろ。) 逆に、インドの占星術家たちは、ギリシアの西洋占星術を、ヤヴァナジャータカ(ヤヴァナ=イオニア人, ジャータカ=出生占い)とよんでいましたが。
東西交流はもっと昔から行われていたのでゆっくりと、とは思いますが、アレクサンドロス大王の遠征はインドのほうへのギリシア人の流入という出来事において象徴的な事柄です。仏典の『ミリンダ王の問い』では、僧ナーガセーナとギリシャ人の王との対談みたいな話で、内容的にはカルマ的般若心経(ラップバトルしそうな名前だな)みたいなもんかもしれませんが、シュタイナーの講義録(GA52, 145頁あたりから。)とかにもでてくる著作です。確か、この本がこれの翻訳。
インドグリーク王朝の領域図で、たぶんいろんな説があるんだとは思いますが、Westermannの"Atlas der Welt Geschichte"がソースとなる領域範囲に、ujjainという街があります。
昔、自分が占星術を受けた時に、このujjainという街にインド占星術の未翻訳文献がいっぱいあるから、サンスクリットを習っていつか翻訳してくれと言われたことがあります。占星術の知識と言語の知識両方ある人がいないらしく。でも自分は、日本の恵まれた環境ですら体がいっぱいいっぱいなんで、インドはきつそう。日本でれないから、誰かもってきてくれ。
インド占星術は、確かに西洋占星術にない組み合わせとかいろいろでてくるから、結構いいだしたらきりがないので、特別な組み合わせ(ヨガ)がこうであるとか、いくらでもでてきそう。サンスクリットは、古代語なので、これはこういう意味という絶対的定義がなく、ひとつひとつの単語の意味が議論対象です。訳し方ひとつで、意味も変わってきます。
例えば、仏教でいう観音は、観音菩薩とも、観自在菩薩とも呼ばれますが、どちらもサンスクリットではavalokiteśvara bodhisattvaと言います。これはこの単語が複数の意味にとれるからです。
avalokita(あまねく見る=観)+iśvara(主人=自在)+bodhisattva(菩薩)=観自在菩薩
avalokita(あまねく見る=観)+svara(音)+bodhisattva(菩薩)=観音菩薩
すなわち「自在に何でも見れる悟った人」とも「音も見れるほど悟った人」ともどちらにも訳せるからなんですね。そんな言語で書かれたインド占星術の文献にも、そういういところありそうです。
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