星のバージョンアップ

 1781年頃の、天王星の発見以降、物理法則は変わった。世界に「天王星」の要素が加えられ、海王星、冥王星と発見されるにつれ、それらの星の物理法則がこの世界に加わった。


 それは「はじめからもともとあったものが、解明された」のか、それともゲームのアップデートやバージョンアップのように「新しい物理法則がアップデートで追加された」のか。


 シュレーディンガーの猫みたいな話だけれど、自分は子供の頃とか昔は、科学的発見みたいなものは、「はじめからもともとあったものが、解明された」と思っていたけど、だんだん「以外とそうではない」と思い始めて、「新しい物理法則がアップデートで追加された」くらいでも全然アリだと、もうだいぶ前からではあるけど、思えるようになってきた。


「私の外に物理法則があって、それが自然を動かしている」という普通の考えに対する、「認識が世界をつくる」そちらは、いわば対象を顕微鏡で見るか肉眼で見るかの違いで、どっちも結局同じものを見ているに過ぎないと言えばそうだ。


 ただ、マクロコスモスとミクロコスモスがあって、どちらも同じパターンを持っているのだけれど、「重さ」のようなものが違う。認識でそのまま現れる世界は「軽い」ミクロコスモス、しかし認識(情報)そのものにも質量があって、認識がチリも積もれば山となり「重く」なりマクロコスモスができる。


 私たちは、進化すればするほど、つまり年号がたてばたつほど、「重くなっていく」。要素が増えていく、しかし重さを極めた到達点はいつも「軽さ」なのだ。マクロコスモス性がましていくにつれ、ミクロコスモスに近くなっていくという、不思議な話。世界は円環である。


 ジョジョ6部のラスト、メイドインヘブンの能力で、世界の時が加速し、加速の究極地点で臨界点を迎えまた減速し、世界が再び作られていくような。

 占星術でいうトランスサタニアン、天王星の発見以降この世に「顕現した」星たち。私たちはそれ以降、いままで考えてもいなかったようなことを考えるようになった。

 車が発明されると、ビジネスの場面で車または運送者がなければやっていけなくなり、ネットが発明されると、ネットがないと仕事がやってられない。(発明というのは流通までをいう。)

 発明は、便利をもたらしているのやら、義務を増やしているのやら。新しい発見があるたびに、私たちはどんどん「重く」なっていく。そういう良いんだか悪いんだかわからないものを、私たちは進化と呼ぶ。


 太陽系の星も、太陽、月、水星、金星あたりでとめておきゃいいものを、火星、土星ときて、またトランスサタニアンまで発見してしまった。

 別に天王星、海王星、冥王星をうらんじゃいない。彼らは、マクロコスモスの重さをましつつも、ミクロコスモスにより近づけてくれる存在たちなのだから。「重さ」がどんどん増えていくことで、私たちは「究極の軽さ」に近づいていく。

 なぜか私たちは「試練」を経験し、強さへの憧れを理解に変えないと、「軽く」なれない。(ブリーチの藍染隊長が「憧れは、理解から最も遠い」と言っていた。) 軽くなるために私たちはどうしても重さをどんどん経験する。


 そしてたどり着く究極の軽さこそが、哲学者・思想家・神秘主義者たちが「精神」と呼ぶものなのだろう。精神とは、いろいろな国で、いろいろなシニフィアンとシニフィエでもって呼ばれている、共通概念である。

 スピリット、マインド、ガイスト、プシュケー、ヌース、ダイモーン、ロゴス、イデア、ウラノス、ブッディ、プラジュニャパーラミター、ニルヴァーナ、ハイヤーマインド、ハイヤーセルフ、そして神話で語られる星々すなわち神々。まだまだこれを遠巻きにでも指し示す言葉はいくらでもあるだろう。


 占星術では、もはや天王星から先はもうマクロコスモスよりもミクロコスモス、「精神」に近い。

ᚠᛚᚪᚵᛋ ᚠᛚᚪᛪ ᚠᛟᛞᛞᛖᚱ ᚠᚱᛁᚵ

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