叫ぶ神の名を、ふりそそぎすぎ
神という言葉には三つの系統がある。godとdeusとássのみっつ。英語のgodはいくらかの複合的な歴史がある。まずgodという言葉は印欧祖語のghewで、「注ぐ」の意味。
ghewからは、サンスクリットのhuやギリシャ語のchymos(容器を意味する。化学や錬金術:Chemistry, Al-Chemiaの語源とも言われる)がある。サンスクリットのhuも「注ぐ」という意味だが、なぜ注ぐが神になるのかは、ヒンドゥー教が教えてくれる。というのも、huとは「神の祭壇に捧げるものを注ぐ」意味だからである。huをする人という意味の神官はホートリ、そしてhuを名詞化したホーマは日本語でいう仏教の「護摩」である。
ところで「注ぐ」からきているgodという言葉は、キリスト教が聖書をゲルマン・ノルマン民族たち向けに訳す際に「神:Deus, Theos」という言葉を彼らの言語で何と表すか悩んだ末に決まった言葉なのだ。いまは神といえばテオスとかデウス、デーヴァ、アースとかいうよりもゴッドという感じがあり、田舎者向けに作った言葉が世界を本家の言語を凌駕して征服してしまった感じだ。
辺境の人々のために神という言葉を訳す単語候補は、god以外にもあって、特に有力だったのがássだった。
上記wiktionaryの古ノルド語(Old Norse)のássの語源(Etymology)は複数ある。そのうち、3番目に書かれているhemsが「命を与えるもの」の意味なので、その意味を引き継いだássを最もふさわしいと当初は考えられていたのだろう。
ただ、このássは、北欧神話の「アース神族」のことなのである。アース神族は、インド神話でいう「アスラ神族」であり、北欧、インド、ギリシャ神話などに共通することだが、ふたつの神々のグループが争って、勝者の神々と敗者の神々がうまれた。北欧神話では「アース=アスラ」が勝ち主神となったが、インド神話では「アスラ=アース」のほうが敗者となって、アスラ神族、日本でいう阿修羅などには負のイメージがもたらされることとなった。
アスラではないほう、すなわちインド神話の勝者は「デーヴァ神族」北欧神話の敗者は「ヴァン神族」だった。このデーヴァという言葉はまさにラテン語の神:deus デウス、ギリシャ語の神:theos テオスの意味である。印欧祖語のdehからきている。
中世から現代の少々表面的で敬虔な宗教者たちに言ったら卒倒しそうな話だが、このdeva, deusの語源のdehは、devil, demonといったいわゆる簡単に訳すと「悪魔」になると全く同じ語源なのだ。
というのも、これらは後世の人々が神々に勝手に過去のものに対してあれは悪、あれは善とか一方定期にレッテルを貼った結果なのだ。
または、後継者が「前の時代は悪、俺の時代は善」と前の時代を悪だと宣伝した結果でもある。ルシファーだって、「光をもたらす者」というラテン語の意味だけれど、堕天使の意味になっている。
北欧神話の方でいうと、アース神族に対してヴァン神族というのが神をあらわすもうひとつの言葉だった。そしてヴァン神族(Vanir)とは何を意味する言葉なのか?
意味を知っておるか?「愛」よ。 (漫画『へうげもの』より、織田信長の最期の言葉)
Vanirのetymologyにある印欧祖語のwen(ページがまだつくられてませんが)は、Venusのwenhと同じもののようですね。「愛する」を意味します。
別にテレビドラマとかいまでも相変わらず売れるような曲とかの歌詞とかにありそうなみたいな意味じゃないんですが、愛という言葉はとても深くて、というのは、昔の人にとって「愛」とは何か、ってとても大きな論題なのです。
今みたいに、テレビが愛というものはこういうものだ、という共通概念を宣伝しているわけではない時代には勿論、「愛」という言葉を表す意味がたくさんあって、それぞれ微妙に意味が違う。
英:Love、独:Liebeのグループ、ラテン語系のamorのグループ、ギリシャ語のphiliaとサンスクリットのpriyaのグループ、などなど。すごくいっぱいあります。一個一個調べていくのも、とても面白そうな話ですね。
実はこの「愛」、文化圏によってすぐ「悪」の意味になりやすい。なんといっても今だって、子供に性的なものを見せちゃいけない、そういうものは悪だ!みたいな人はいっぱいいる。要は、どの層の声が大きくて、どの層の声に屈してしまうかだ。
ちなみに、godの語源がふり「そそぐ」ですが、ふりそそぐといえばラルクに降り注いだもの一覧とかあったなあ。
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