Lady vengeance

 昔聴いていた曲を聴くと、昔歩いていた道を思い出す。例えばあの頃は、都会にいて、自分の故郷を懐かしんでいた。そこで故郷に戻ってくると、今度は都会を懐かしむようになる。

 今いる場所に飽きて、憧れた場所に行くと、憧れの場所に飽き、そこから元いた場所に戻ると、また元いた場所に飽き、飽きたはずの憧れの場所に憧れてしまう。そこに何もないと理解はしても、感情は変わらない。それが永遠に続くのだろうか。

 利己的遺伝子の考え方からみたら、それは一体どんな戦略なのだろうか?これについて考えるのはとても興味深い、でも深淵を感じ取れるだけで、大した答えはでない。

 種は、自らの種の生存を最優先する。種の保存のために、個別の死が有利に働くならば、個別の死が推奨される。それはつまり、種の死は推奨されないということ。

 けれど「種」と「個」の境目はどこにあるのか?憧れという感情、そこにどんな神経伝達物質やホルモンバランスとかが関わっているのしろ、それが個体に探求をさせる。じっとしていないで、危険を冒してでもどこかへ移動させる。利己的遺伝子の視点からしたら、それは種が個へと探求の旅を命令しているのだ。

 恋愛、結婚、すべて憧れだ。それが最優先原動力になるのは、それが、種の保存に、なくてはならない存在だから。

 自分のように、恋愛、結婚に憧れはあるけど、子を残すこと、すなわち生殖細胞の増殖、種の保存にはあまり興味がない個体は、利己的遺伝子において、最も周縁に位置するようなものなのだろうか。そういった存在もまた、利己的遺伝子に仕組まれているのだろうか。

 利己的遺伝子が、虚数時間のプールのなかから、実数時間に個体を拾い上げている、すなわち死から生を拾い上げているのだろうか。

ᚠᛚᚪᚵᛋ ᚠᛚᚪᛪ ᚠᛟᛞᛞᛖᚱ ᚠᚱᛁᚵ

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