Mæd in Heaven

 天国に行く夢を見たことがある。天国とはいってもドーパミンの沼みたいなもん。その話をしたことがある人は今まで数人。したことがある、というよりも、そんな話が、できる、と言うべきか。

 上記mvの風景はそこに似ている…。同じ趣味の人は、趣味が似る、それも、カルト的な範囲で、趣味が一致する。宇宙とは、そういうものか。


 今日も変な夢を見た、私の腕の中から、外科医みたいな先生が、金の指輪を摘出手術してくれた。現実には、子供の頃に同級生に鉛筆で刺された時から、体の中に残っている鉛筆の芯の一部とかがあるが、そんな感じのものを、摘出してくれた夢だった。

 ルノルマンカードの指輪の解釈を思い出しつつ、同時に何か、自分の体内奥深くに根深くあった古い契約からの解放を意味したり、そこから今世らしい新しい契約などを期待したくなる夢だった。


 そう、思えば思うほど、言葉が通じない相手の声が聞こえるということに、ひどく心が乱される。上記動画にあるように、言葉が通じない人、というのが、ここ数年、いままでになく加速するように、顕在化してきた。

 私にとって、重要なのは、言葉が通じない相手を、通じる相手にする、啓蒙的行為ではない。それを私は、メンタルとエネルギーの無駄な浪費と呼ぶ。

 言葉が通じない相手といかに関わらないか、が重要なのだ。


 幸せとは、征服ではなく、もはや隔絶のことを言う。

 言葉が通じない相手と関わっていても、何の自分のメンタル、波長に影響がないのなら、良いが、今のところ、それは実現できていない。私自身も波長を所有しているという、この世界のルールなのかもしれない。だがもちろん、それが実現できても構わない。

 生活空間に、波長を乱される相手がいる場合、特に辛辣で、例えば水が飲みたい時に、水を飲む場所にその相手がいる場合、私は波長を乱し続ける生活をすることになる。だから、水が飲みたくても、波長を乱さないために水が飲めなくなって、とても不便だ。

 そんな生活よりは、まずひとりでいられるということが良く、それよりもさらに良いのは、言葉と波長が通じる相手と生活できるということだ。そのような理想的な状況がないうちは…波長を乱されないために、何があっても、関わらないように、喋らないように。


 

ᚠᛚᚪᚵᛋ ᚠᛚᚪᛪ ᚠᛟᛞᛞᛖᚱ ᚠᚱᛁᚵ

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