アイネ・アライネ

 音楽を大音量で聴くと難聴になるだろうか?ものすごく謎が多い命題です。

 歳をとるときこえなくなるモスキート音の動画とかを10代の頃から時々聞いてて、確かに10年ごとに聞ける音が変わってたりして、老化を感じるかも。

 いまのところは、15歳くらいから、もうあとちょっとで20年近くなるほど、イヤホンのヘビーユーザーなのですが、難聴どころか聴覚過敏がどんどん増している感じです。


 15歳の頃、将来何になりたい?と言われても、思いつくとしたら、音楽をききながらでもやれる仕事、だった。そう思って、芸術関係の仕事なら、音楽ききながらやれるのでは?と思って大学はそちらに進んだ。

 ただ、今いくつかある仕事のなか、ひとりでひとつの畑の農作業をする仕事があるんですが、それが実は音楽ききながらやれる仕事です。ただ集団とかの作業で音楽きけなかったら、あんまり楽しくなかったりするんで、音楽聞けるかどうかにかかってるだけのような気もする。でももちろん、植物は子供の頃からとても好きだったし、オーガニック畑の農作業なので筋トレ・良い土壌や植物の細菌の吸入とで健康増進になるし、などなどでプラスなイメージは強い仕事です。


 例えば、音楽をよく聞いて、もっと言えば、例えば楽器とかをやるようになると、同じ音楽を聴いているにしても、音楽について「よりよく聞こえる」ようになります。なので、音楽を聴けば聴くほど、音楽についてわかるようになって、よりたくさんの音が聞こえるようになって、ある意味では難聴から程遠くなるような気がします。

 ゲームで言えば、フレーム回避とかできる人とできない人とか、もちろん何度もそのゲームをやることでその人の認識的フレームレートが拡大していって、フレーム回避に対応できたりするようになると思う。


 例えば、アスリート、までいかなくても、運動をする人は他の人よりも筋肉や骨の疾患が増えるのでしょうか?一時的には、筋トレは筋肉の破壊ですが、しかしその破壊と創造を通して、より一層筋肉を自由自在に扱ったり、今まで不可能だったことが可能になったりします。


 例えば、風景とかも、目の前にものがあるのに見えていないことがあります。けれども、その「もの」にとても関心がある人は、その「もの」を見落としません。頭の中で色々考えていて、処理がおいつていないこともあるけど。

 音も同じです。関心と認識の取捨選択能力で「聞こえる」「聞こえない」が決まるので、鼓膜の機能の他、認知能力というのがめちゃくちゃ大きいです。

 オーディオも、素晴らしいオーディオを持っていても、電源が入っていなければ、音を出せないし、電源が絶対に入らない最高のオーディオよりも、電源が入っているボロボロのオーディオのほうがまだ音楽が聴けます。


 自分のイメージでは、難聴的な人と、難聴じゃない人むしろ聴覚過敏の人、音楽をどれだけヘビーな音できいているかよりも、認識力・思考力における、本人の先天的な性格のほうがずっと作用するように感じます。

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