生まれたら死ぬまで
帰巣本能って何なんだ?って思うときはあります。帰巣本能では、視覚的な目印から地磁気まで、動物はいろいろな感覚でもともと住んでいた場所に帰ってきたりします。
なかでも、マダライモリは夜空の天体を目印に自分が住んでいた場所に帰ってきたりするとのことで、上記リンクはそれに関する論文です。マダライモリは夜空の星を目印に、自分の巣に帰るそうです。つまり、夜空が曇っていたりして星が見えないと、帰ることができないようです。
トカゲにも、星を見て、星を目印にする力があると考えると、とても感慨深いものがあります。ニンゲンである私も、夜空の星はほとんどわからないのですが、星(の観測データ)ばかりを見ています。それはどこかで、未来にある本当の自分の家に帰れるのではないか?という帰巣本能のような気がするときがあります。
帰巣本能は、「帰るべき場所」が複数できてしまったら、どうすればいいの?と思います。例えば、何年か過ごした街Aいると、過去に何年か過ごした街Bに対する帰巣本能がでてきて、その気持ちが爆発しそうになります。でもそこで街Bに帰ると、今度は街Aに対する帰巣本能がでてきて、また街Aに帰りたくなったり、街Bに帰ってきたことを後悔したりします。街Aの良さと、街Bの良さが、それぞれ別々に存在しているのもあって、たぶんこれは、永遠に続くような気がします。どこかでこれをシャットアウトできないと、幸せになれない。
もっと言うと、過去に対する「帰巣本能」も発動します。過去の好きだったものとかを見ると、すぐ過去への帰巣本能がでてきます。いまはyoutubeとかで、すぐに子供の頃見ていて好きだった音楽MVとか、ゲームとか、そういうものにすぐアクセスできます。でも「過去への郷愁」なので、時間軸的に不可能なものへの帰巣本能を持ってしまうことになり、決して手に入らない感じがとんでもないもどかしさを生みます。
こういう気持ちは、きっとこういった生物の生存戦略としての安全な場所を求める「帰巣本能」がなせる技、またはその副作用のようなものなのかもしれないし、もっと生物学とかを超えた別の意味もあるのかもしれません。少なくとも自分には、この気持ちはあまりにも強すぎるものがあります。
ちなみに、例えば人間でもものすごい酔っ払いが記憶はないのに、でも気づいたら家には帰ってきていた、というのも帰巣本能のなせる技です。理性が何も働いていなくても、無意識で家には帰れるのです。酔っ払いの帰巣本能
0コメント