my mortal immortal

 ピアノ動画、こういうの見てると、ちょっとピアノとかやってみたくなる。全くやったことないけど。この曲は、子供の頃テレビの音楽番組とかで聞いてたことがある。

 原曲だと全然思ったことがなかったのだけど、ピアノになると、前奏終わったあたりから、ものすごくジョンレノンの曲っぽかったのだなと、はじめて気づく。

 ジョンレノンのこの曲も、子供の頃からもっと幼少期、親の車とかでかかっていたりしたイメージがある。それをまた、子供の頃テレビの「世にも奇妙な物語」の「冷やす女」という話でこの曲が使われており、めちゃくちゃ懐かしい気分になったことがあった。


 この曲で思い出すのは、ちょうどx japanのhideの自殺みたいなニュースがあって、自分自身はまだ子供だったし、x japanをあまり聞いたことがあるとかではなかったが、例えばこのluna seaの曲なんかも、そういったことからの影響があったと言われていたことだった。

 個人的には、去年赤い公園の津野米咲さんが自殺したけれど、ある意味では好きだったミュージシャンの自殺という意味でははじめてだったかもしれない。

 でも個人的には、名声を得たすごく有名な人の死よりも、無名でありそのために苦しんで死んだ人の死のほうがずっと精神的にはくるものがある。


 古代ギリシア人たちは、神々のことをathanatosという呼び方をすることがある。サンスクリットでも、amara「不死の」という意味で神を意味するし、まあそれが過去分詞になるとアムリタ「死ななかった者」になるわけで、またはドイツ語でもUnsterbliche「死ぬことがない」という意味で「神」を意味し、逆にSterbliche「死ぬもの」という意味で「人間」を意味する。

 実際のところ、神というものの特性として「不死」を意味した。普遍的なもの「ト・ヘン」なんかも似たようなものだ。現代語で言えば「神」と「普遍的なもの」とでは全く印象が違うだろうけれど、古代の哲学における神という言葉は「普遍的なもの」という意味に他ならないだろう。

 ただ、実際に「死」がなければ体験できない感情があって、逆に言えば死を前提に所有やつながりみたいなものが発生している。

 ちょうどプラトン『饗宴』のなかのディオティマが話していることみたいに、「不死」の世界では存在は全知全能なので、すべてとつながり、すべてを所有しているので、欠落感がないので、私は何かを持っている(ということは、私は何かをもっていない)、私は何かとつながっている(ということは、私は何かとはつながっていない)、という感覚がないのだろう。

 こういった現象から生まれる感情は、死に対する感情は、生という体験を通してのみ知り得るものだ。人生に対して意味を求める人もいれば、意味なんてないと言う人もいる。ただ、心がいちいち一定しない生というものにおいて、限定プレミアなものがあるとしたら、死に対する感情から発生するものだろうか。

 人生において快不快のバランスは確かに崩壊していて、またもちろん人生は良いものだと思い込めばそう思えるし、悪いものだと思い込めばそう思うこともできる。惑星軌道、地磁気みたいな波動に常に感情が影響されるので、悪いと思い込まされる時と、善いと思い込まされる時がそれぞれあると言うべきか。

ᚠᛚᚪᚵᛋ ᚠᛚᚪᛪ ᚠᛟᛞᛞᛖᚱ ᚠᚱᛁᚵ

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