人間の生涯のテーマ
インド占星術で、ラーフとケートゥは、西洋占星術でいう、ノースノードとサウスノードまたはドラゴンヘッドとドラゴンテイルになります。人間の生涯のテーマを表すので、個人的には最も重視している星ですし、自分で生きていても、最も実感することが多い星です。
まあ幼少期の記憶というか、FF6のこいつのせいで、このラフとかケトゥとかって名前はすぐに覚えてしまったのですが。
このノース/サウスノード、ドラゴンヘッド/テイル、ラフ/ケトゥは、人間のカルマをさします。カルマという言葉の定義は、仏教徒のなかでも、ヒンドゥー教徒やインド哲学のなかでも、近現代のスピリチュアリストのなかでも、みんな違うと思われる。
サンスクリット的には、karmaは、√kr「つくる」という言葉からきているので、ラテン語のcreoすなわち英語のcreationが同義だし、もし√krと√krt「切る」が同じ語源なら、ギリシャ語のクロノス(時間)やクリティーク(判断、批評)も同じすなわちカルマとは「つくられたもの(クリエイトされたもの)」というくらいの意味しか本来はない。
これは善悪二元論とも結びついて「悪いことをしたら、(巡り巡って)自分が悪いことをされる」逆に「善いことをしたら、(巡り巡って)自分が善いことをさせる」という原理をカルマと呼ぶようになった。
「悪いことをしても大丈夫」という人は、「(巡り巡って)」の部分が欠落していて、悪いことをしても自分に悪いこと起こらないじゃんって勘違いしているということになるし、逆に善いことをしても何も善いことないと言う人も「(巡り巡って)」の部分が欠落していることにもなる。
ギリシア神話の「ネメシス(復讐/報酬=因果応報の女神)」はまさに、ギリシャ文化におけるこのカルマ(因果応報)の思想を体現したものである。
んだけどともかくカルマというものは一般的にはそのような現象として解釈されるのが、個人的にカルマとは何か?ときかれたとき、現時点での自分の答えは
「カルマ=感情」
ということになる。これはシュタイナーやそのおおもとの神智学的に言えば「カルマ=感情=アストラル体」ということになる。
シュタイナー的には、肉体・エーテル体・アストラル体と分かれており、全ての石にも植物にも動物にも命は宿っているけれど、そこにプラスアルファでエーテル体があるかアストラル体があるか、とかが違ってくる。
例えば、鉱物にはエーテル体(可塑性・成長性)がないけど植物にはあり、植物にはアストラル体(カルマ=感情というか情念、パトス)がないけど動物にはあり…まああと人間にあって動物にないのが思考(Denken)とかそういうふうに分かれているが、そのうちのアストラル体はカルマとイコールだと聞いて、まさにと思った。
なぜなら、カルマがある人とない人の違いは、その対象に「特別な感情」があるかないかの違いからだ。魔女狩りに対してカルマがある人は、魔女狩り的なことを言われたり、見たり、実際にその歴史を知ったり、そういう宗教と関わることで、極めて「特別な感情」をいだき、特別な執着、特別な攻撃性、特別な逃げたくなる気持ちなどを発する、それこそが「カルマがある」ということだ。魔女狩りに全くカルマがない人は、それに何も感じないだろう。
占星術で、どこにカルマがあるかが見れる。それがノース/サウスノード、ドラゴンヘッド/テイル、ラフ/ケトゥ。ノースノードとサウスノードは必ずそれぞれ180度先にあるので12室、12星座のなかの対極の室2つと星座2つを必ず所属している。
室では、ノースとサウスで順不同、1-7, 2-8, 3-9, 4-10, 5-11, 6-12, のどれかのパターンが必ず考えられる。ここで強いカルマを、6タイプにわけることができる。それぞれふたつの室が、あなたのカルマであり、「特別な感情」を抱く場所、生涯のテーマである。
そしてその室に関する、何らかの対処を迫られ、正しい判断(すなわち、自分の意見や直感を大事にして進むこと)によって運命的支援(幸運=スムーズに進むものごと=個人のカルマの解消に近づくものごと=学び)を受けられるポイントである。
前述の、魔女狩りに特別な感情がある人は、おそらく3-9(または6-12)あたりが強いだろう。魔女狩りは、歴史的事実だけでなく、常に生きている。「愚かな人の判断で、被害を被る」みたいなことを全般にさす。例えば、宣伝に流されやすい人、ものを売るために、対して意味のないものを、専門家や権力者の力で、「素晴らしいもの」に仕立て上げられたものを、その人はありがたがって、たくさんかって、相手に利益をもたらす。そういったひとたちは、専門家や権力者というよくわからない存在の影さえあれば安心し、そうでないものを攻撃する。そういうところにも、同じものが見え隠れする。
本当に賢い人は、愚かな人と全く話が通じなくて、苦労するだろう。そして、その愚かでネガティブな人たちが世界を動かしていることに不条理を感じるだろう。IQが離れていると、話が通じ合うことができない、とも言うが、IQや賢い、愚かとか言うと、善悪二元論になってしまうので、相対的には、ただ、それらの間には、周波数の数値の差がある、と言うことになるが。
このような状態こそ「カルマがそこにある!」な状態である。
そのようなカルマ的なできごと、すなわち「通じ合えない周波数の差」にでくわしたとき、人は「執着を解き放つ=カルマを解き放つ」しか手段がない。すなわち、可能な限り、取り合わないで距離を取るしか。
例えば、AさんからBさんに、強い感情(カルマ)があるとき、しかしBさんからAさんにはカルマがない場合もあるので、その場合は、AさんさえもうBさんのことを考えなければ、簡単に距離がとれるはずである。
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