pluto nium

 北欧神話では、グルヴェイグという神は、「三度処刑されたが、三度復活した」とある。

 この、おそらく古ノルド語だと思うけれど、グルヴェイグという言葉は「お金」という意味になるようだ。ドイツ語的に、Geldwerk(ゲルトヴェルク)みたいな感じ?英語でいう、Goldwork。彫金師ともとれるが、


「お金は3度廃止されたが、3度復活した」


 と、言っているようにも思える。「風の時代」への移行にせよ、QアノンのGESARAにせよ、なぜそれらの言葉がこれほど支持されるのかといえば、そのようにグルヴェイグが処刑されること、すなわち「お金の廃止」からのベーシックインカム的なことに対する期待が大きいからだ。

 その意味で、この世にはお金に喜ばされているよりも、苦しめられている人のほうが多いだろう。もちろん、お金を処刑することは、難しくない。だってこの世に、お金なんてものは本当に存在しないからだ。いわゆる物質としての「金」は存在しているかもしれない。でもお金というものは、価値観というものは、ある意味のピエール・ブルデュー的な言い方をするならば価値観という名の「格差」が「お金」なのだから、本質的にこの世に「お金」は存在していない。

 善と悪、ファンタジー、根拠と無根拠、嘘と真実、時間、それらと同じく「お金」はこの世に物質として存在しているわけではない。人間の心のなかにだけ存在する。だから「お金」がこの世からなくなっても、物質的に、特別な紙の印刷や金属の彫刻はなくなるかもしれないが、世界から何らかの物質的要素がなくなるわけではない。


 お金がなければ、人はもっとやりたいことをやり、魂の目的を行う、「この世の原理」的に理にかなった形になるだろう。

 お金の処刑でこの世がうまくいくといえるのなら、その思想は性善説であり、性悪説においては、お金がなくなることで秩序を失うことになる。もちろん、「人が働かなくなる」ことにとって都合の悪いのは「経済人」であり、それ以外の全ての物質と霊にとっては利益でしかない。


 ところで、占星術ではお金はまさに金星である。金星を処刑すると、一緒に喜びというものも処刑されることになる。もちろん喜びとは、ピエール・ブルデュー的な言い方をするならば価値観という名の「格差」によって生まれるとも言えるから、そこでイコールにつながるかもしれない。

 金星は「愛」でもある。金星を処刑すると、愛も処刑することになる。プラトンの『饗宴』からネオプラトニスト、マルシリオ・フィチーノにかけて、「金星=愛=アプロディーテー」には、複数の種類があると論じている。

 インド神話では、シヴァ神の嫁パールヴァティー(サンスクリット語で「山」という意味)には複数の側面があり、そこには殺人と時の神カーリーも含まれている。

 いわゆる、ギリシア語でも愛と訳せるものには「アガペー」「エロース」「フィリア」など色々ある。それぞれ、語源をうまく辿れば同じ「愛」でも少しずつ意味合いが違うことがわかる。サンスクリットに関して言えば、同じことがさらに何十もの言葉で「愛」が意味することになる。

 ネオプラトニストたちは「ウラニア」の様相をアプロディーテーの中に求めた。ウラニアとはすなわち空を意味し、「天上の愛」と「地上の愛」をわけた。限定的な愛と、無償の愛は、現代でも違うといわれる。占星術でも、5室と11室の愛は違う。


 金星、2室、「お金」に価値が高いならば、占星術的には、そこが優れているに越したことはない。ただまあ、お金は何も「金星」だけではない。「冥王星」も「お金」であり、ギリシア語の名前がまさにそれを示している。

 冥王星は、プルートである。ギリシア語では、ハデスになるだろう。ヘブライ語の「ゲヘナ」すなわち地獄、奈落に対しては、そのハデスという言葉があてられる。プルートは、ラテン語だが、ラテン語のようで、ギリシア語のように思えて仕方がない。

 なぜなら、ギリシア語のπολλών「たくさん」にそっくりだからだ。ギリシア語のpolis, もしかしたらapollonもそうであり、英語やフランス語のplus、plural、ドイツ語のvielなどに派生した。

 だから、プルートという言葉は、財宝という意味もある。なので、冥王星には、一攫千金の意味もある。「お金」はふたつでひとつ。心の深淵と表層。


 冥王星はまさに「格差」で、「お金による格差」は冥王星の担当だろう。だから問題は金星ではなく冥王星。「格差」が欲しい人のお守りは冥王星なのだ。

 それに対し、金星は本来「格差」の星ではないが、「快楽」には「不快」が必ず必要だろうか?世の中の常識的には、もちろん幸福がなければ不幸もなくなるのだが、個人的には、「快楽」だけが存在していても良いと思う。宇宙が愛だと信じられるとしたら、「格差」があるうちはなんか別のものを観測していることになりそう。

 「格差」がこの世に本当は存在していなくて、「格差」を信仰する人たちの「共同幻想」のなかにのみ存在する。すなわち、量子力学でいう観測行為の集積でもあるが、「格差」という知識・概念がない人には、「格差」なんてものは通用しないのだ。「悪魔」が「悪魔」を知らなければ存在できないのと同じで、「悪魔」を観測する人のなかにのみ「悪魔」が存在できる。本当は存在していないものは、そういうものだ。

 そしてこの世の全てが空であるということは「世界」もそれにあたるわけだ。しかし、観測行為の集積は、質量を生む。「世界」を観測する人が非常に多量であるために、それが少量のうちは空であり、もともと実際空であることは否定しようもないが、世界が「質量」を持ってしまっているのだ。「お金」や「善悪二元論(善vs悪=高級vs低級、健康vs病気、幸運vs不運)」なんかも一緒かもしれない。

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