振動覚
周波数のなかに、冥王星の公転周期、という項目があるのがとても興味深かった。正直なところ、占星術というもののヒントもこれなのではないかと思う節がある。
ものすごくちゃんと説明することは難しいが、この世のすべては周波数であり、もちろんものを分解していって、これ以上分割できない(アトム)にまでたどり着く過程で、もはや「観測が世界をつくる」といった領域に入っていく。
ファインマン図で言えば、このどの方角から見るかによって同じ位置にあるものが陽子になったり反陽子になったり…。
完全に、2000年以上前の仏教の世界観であり、バガヴァット・ギーターの世界観であり、ピュタゴラス的な世界観でもある。いわゆる、量子力学の世界の創始者たちが、同時代に「(東西交流の強かった時代の)哲学」が隆盛していて、その世界観がこういった古典哲学にも通じていて、それが逆にヒントになって、こういった世界にまで応用されたとも言える。
またこの世の真実というものは、すなわち自然という本体がそこにあるというよりも、「観測次第でしかない」ということもある。物自体とは、ある種すべての「もの」を構成している「周波数観測行為」以前の「自然」があるかどうかということでもあり、確かに、物自体はあるかどうか、「どちらでもいい」のである。
この世のすべては周波数なのだが、それは人間が「周波数を観測できる」から「この世のすべては周波数」であるに過ぎない。観測という「量子もつれ」を発生されることが、「世界それ自体の成立」「物理現象」だと個人的には定義してもいいくらいである。
こういった周波数や観測の問題の他に個人的にこの世の原則として考えているのが、このマクロコスモスとミクロコスモスの一致の世界観である。私たちの体には、ファインマン図の世界の存在たちから、原子、分子、細胞、菌類、組織、人間本体に至るまで、すべてをその中に有している。人間たちだけでなく、動物、植物、星、宇宙、なにもかもそうだと言える。そのように、私たちのなかに「ファインマン図の世界の存在たち」を持たないひとたちはひとりもいないし、その存在たちの機能を用いていない現象は存在しないということである。
それらのミクロからマクロまでは、乖離されておらず、すべてが同時に存在している。同時に存在しているということは、ミクロからマクロまでの存在が皆共通概念でつながっているということでもあって、そこですべての存在に共通する「パターン」というものがあると考えるに至る。ピュタゴラスが、「数はアルケーである」と言ったのが、この「ミクロコスモスとマクロコスモスの共通点」がこの世の原則のひとつである、という意味であるなら、自分と全く同意することになる。
「冥王星の公転周期」と「ガンマ線の周波数」なんかが同じ表で記されているところを素敵だと思う次第である。周波数の上下で、色が赤から紫へと変化していく。ここには「共感覚」のヒントもあるかもしれない。周波数で色が変化するように、星もただ砂やガスがいっぱいあってすごい温度と遠さ、体積をしているとか、そういうだけじゃなく、公転周期で「キャラクター」が変化し、それらのマクロはミクロの細菌、細胞、そしてガンマ線とかそういった世界にまでリンクしているのだと。
周波数とか振動とかで思い出す、10代の頃は、アジカンばかり聞いてました。振動覚のある、このアルバム(ソルファ)は特に一番聞いてた。アルバム曲も、Re: Re:や振動覚とか良いの多かったけれど、サイレンもループ&ループもリライトもこのアルバムだったと思う。中村佑介の絵も、当時すごく好きだった。
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