海に毒薬
良い大学に入ったり、良い企業に入ったり、学会で実績を上げて重役についたり、国を動かすような業種で重役についたり…それは占星術で吉とでるのか凶と出るのか、で言えば自分は、凶だと思っている。
大学・大学院で自分がお世話になった教授とか、あんまりお世話にならなかった教授とか、またたまたま知り合った友達にも東大理IIIのいろいろやばい人生の人とかもいたので、彼らの吉凶を占星学的に考えてみると、あまりに「凶」が多い、その意味を考えてみた統計学的なところでもあるけれど、
それでなくても、そういった「雲の上」業界の人の話を聞く限り、彼らは「凶」であると、そのほうが、正直腑に落ちる。
反対に、「吉」の人は、本当にこういった業界から遠くでつつましくやれていて、不必要なものを得ないで、うまく避けて通れている。
すなわち、「雲の上のひとたち」ヤクザから被害を受けないようにするには、どうしたらいいか?
1. 自らヤクザより強いヤクザになる。
2. ヤクザに従う。
3. ヤクザ自体を避けて通る。
3.が最強であり、「吉」。それ以外は「凶」だ。「そんなことできないよ」と思い込んでいる人が多い。けれど私たちは、私たちの「吉」を創造していけば良い。
ガンディーの「非暴力不服従」がある。しかし彼は殺されてしまった。「非暴力不服従」を実現する、そのためにはまず「接触を避ける」必要がある。それがなければガンディーと同じことなので、何もはじまらない。「接触を避ける」ことで「吉」を創っていこう。ちまたでは、「二分化」と凄い言っているじゃないか。「二分化」とはまさに「接触を避け合う」ことだね!
それでいえば、今年、イナゴが大発生したけれど、その際の驚くべきことは、本来イナゴは体内に毒性をもたないのに、大量発生したイナゴの群衆の体内に毒性が認められたということだ。
最新の医学や生物学の論文とかに詳しい友達から日常会話のなかで聞いた普通の話であったが、検索したら割とすぐに出て来た。
ここから思うのは、生物は「群れる」と「毒」が発生するということ。それは人間も同じで、正直分子、原子、中性子、陽子、電子…量子、全部同じな気もするが、そこまで引っ張ることはひとまずやめにして、
「人間だって群れると毒が発生する」
というのも、ひとりで生きていくなら、誰かと戦ったり、誰かにはめられないように、いろいろ対策を講じる必要がないけれど、群れるとどうしてもそれがでてくる。
受験、就職、政治、学会、経済戦略、すべてに「毒」がまわっているのだ。そんなところに関わることが、吉と言えるのか?毒を飲んで、毒を制すために毒に苦しんで、そんなことが、吉だと言えるのか?競争があれば成長する?まさか、毒を増やしていくことが?
いろいろな失敗は、正直人間に対する幸運ではないかとすら思う。彼らは、「毒を制すために毒を飲み、毒を身につける」そのことで頭がいっぱいで、まるで自分は永遠に生きるかのように、そのことしか考えられなくなっていて、彼らにとって生きるとはその「毒」の対処がすべてになっている。それは、いわば地位や偏差値、称号があがるほどに増していく。
仏教やヒンドゥー教の輪廻転生のいうように、私は毒を見るたびに、まさに解脱、「この世に生まれないで済むことが、最も幸せ」を実感していく。
そしてそもそも、人間はなぜ「生まれてしまう」のか、なぜ生まれてしまったのか、哲学思想や科学的分析といった仮説が複数あるだけで、経験論・記憶としてはわかっていない。
そして皆が、毒を所望して、毒耐性を持ち、毒を発射する人間になぜ憧れているのか。
死は最大の解毒である、そして彼ら「毒の頂点」は、自らが解毒するなどと想像だにしないし、いつか最大の解毒がやってくることを、全く気にもかけず、「自らが解毒した後も、世界に毒が回り続けるように」毒の努力を惜しまない。
人間は生前は川で、死後は海であると、よく言われる。すべての川は海に合流する。戦争の時代みたいに、川が毒で汚染され、誰も飲めない誰も住めない河原だろうと、海になれば、そんなのももう、大河の一滴。
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