私には、何か例えば専門家になるとか、博士論文を出すとか、そういう未来があったのだろうか?と思う時がある。私が過去に学んでみたいと思って選択した専攻は、私は博士論文を出す気にもならなかった専攻だった。しかし別の専攻を選んでいたら、そういう気になるような世界線みたいなのがあったのだろうか?
私の過去で修正できたらいいな…と思う地点はいくつかある。いずれもやはり17歳18歳頃のことかもしれない。それは簡単に言えば要は大学と専攻の選択だし、勉強の仕方と将来性と得意科目の接点をはっきりさせることだった。
自分は自分で何が得意なのかを知らなかったし、世の中の仕組みを教えてくれる人もいなかった。占星術は見てもらったことはあったが、そこまで深くはまだ知らなかった。
今の自分は自分が何ができるのか、わかっている。でももちろん、当時の家族や先生とかで、それを理解してくれる人は存在しなかった。
そんなことを思うような歳になった。それはもう生命として取り返しがつかない歳になったということだ。
そうなったとき人は、多分例えば子供とかがいたら、過去の自分への助言みたいなものを、過去の自分にはできないから代わりに子供に対してこういう生き方をしなさい、と言ったりするということのかもしれない。多少幻想や過去の感覚の忘却、そこに起因する都合の良い解釈によって歪められたそれを。
そして何よりも、子供と自分は違うのだから。過去の自分にベストな助言を子供にしても、イコール自分ではない子供の本質とは無関係なわけで、そんな親の理想は子供にとって子供が歳を取ってから「あのとき、親の言っていたことばかり真に受けないで、こういった道を選んでいれば…」と思う原因になる程度だろうか。