ΗΘΟΣ ΑΝΘΡΩΠΩΙ ΔΑΙΜΩΝ

 私には、何か例えば専門家になるとか、博士論文を出すとか、そういう未来があったのだろうか?と思う時がある。私が過去に学んでみたいと思って選択した専攻は、私は博士論文を出す気にもならなかった専攻だった。しかし別の専攻を選んでいたら、そういう気になるような世界線みたいなのがあったのだろうか?

 私の過去で修正できたらいいな…と思う地点はいくつかある。いずれもやはり17歳18歳頃のことかもしれない。それは簡単に言えば要は大学と専攻の選択だし、勉強の仕方と将来性と得意科目の接点をはっきりさせることだった。

 自分は自分で何が得意なのかを知らなかったし、世の中の仕組みを教えてくれる人もいなかった。占星術は見てもらったことはあったが、そこまで深くはまだ知らなかった。

 今の自分は自分が何ができるのか、わかっている。でももちろん、当時の家族や先生とかで、それを理解してくれる人は存在しなかった。

 そんなことを思うような歳になった。それはもう生命として取り返しがつかない歳になったということだ。

 そうなったとき人は、多分例えば子供とかがいたら、過去の自分への助言みたいなものを、過去の自分にはできないから代わりに子供に対してこういう生き方をしなさい、と言ったりするということのかもしれない。多少幻想や過去の感覚の忘却、そこに起因する都合の良い解釈によって歪められたそれを。

 そして何よりも、子供と自分は違うのだから。過去の自分にベストな助言を子供にしても、イコール自分ではない子供の本質とは無関係なわけで、そんな親の理想は子供にとって子供が歳を取ってから「あのとき、親の言っていたことばかり真に受けないで、こういった道を選んでいれば…」と思う原因になる程度だろうか。

 あなたへのおすすめにこんなん出てくるとかむかし住んでいた場所とかバレているとしか思えないんですが。一部は大学生の頃の毎日の通学の道でしたが、動画後半の方面は多分数えるほどしか散歩してない。アジカンの歌詞ばりに昔住んでた小さな部屋は今は誰かが住んでんですよね。昔住んでた部屋がラーメン屋になってるみたいな夢見たことがあるけど。

 ちょっと面白いと思った。コメント欄が。というかニュースサイトのコメント欄とか魑魅魍魎ではなるとは思うしAIが読者向けに調整しているみたいだし、ではあるけど。

 今までの、老後やリタイア後は田舎に引退…というのと真逆の意見ですね。いやでも実際それ思う。老後田舎にいたらヤバイと思う。このままでは。車がないと生きられない場所で、いつか車運転できなくなるわけだから、必ず車を運転できる家族とかに依存する。家族がいなければどうなる?人材不足の世の中がこれから進行するともいう。移動にも優先順位がつけられる。

 都会で歩いてでも病院に行けなくなったら、その時は田舎であろうともうその生活の段階ではないということ。なんなら田舎はそんな段階の老人が車を運転しなければ生きていけない場所。

 自動運転とか、自動車以外の乗り物の選択肢が増えたりするならば、これらは基本的に解決される。でもそうならないなら、田舎ではなく「生き延びられる場所」に住むこと。

 

 18歳から32歳まで東京だった自分は、「車必須地域」で車がないヤバさを全く知らなかった。想像もできなかった。だから「こんなところにいたらやばい」と思う。知らなかったから来てしまった場所。まあ次の時代が到来するか、お金があればなんとかなることではあるので…。

 いろんな過去の世界線があるけど、4年前に分岐した世界観について考えることが多い。あれからいろんな運命が待っていた。だから4年前も全然4年前の感じがしなくて、遥かな古代の記憶みたいになってる。

 10年前は10年前って感じなのに、4年前はもう10年以上前みたい。

 当時聞いていた音楽は当時を思い出す力があります。4年前、都会を捨てて地方都市に帰ってきてしまったけど、そこからの人生計画は、全く知らなかった隠れPTSDみたいなのに最も狂わされたかもしれない。


 4年前、都会にいた時に、実家もある地方都市に仕事の縁ができて、金銭面とか、何より結婚したいから、現状のちょっとやりがい感じられない仕事よりも、そちらに戻ろうと思った。その上で、地元の地方都市で生きていく上で必要な自動車免許を今更取ろうと思った。

 車がなんとなく苦手なのは、中学校の時に乗っていた車の交通事故で怪我して救急車で搬送されたことがあったからだった。それから一時期、車が怖くて乗れなくなったが、そんなの遥か昔の話だし、意識の面ではとっくに克服していると思っていた。だから免許なんて簡単に取れると思っていた。

 けれども、実際やってみると、緊張由来というには強すぎる震えや吐き気がしたし、帰ってきて横になると何十時間も眠ってしまう眠気と常時デプレッションみたいなのが生活全てに支障をきたした。もちろん、過去の事故のトラウマだけが理由なのかはわからない。

 こんな隠れPTSDを持っているなら、都会を離れるべきでなかった。しかし都会を離れるまで、この存在に気づけなかった。私は本当は都会で唯一「まともに生きられる」人間だったのかもしれない。都会から引っ越してきて3ヵ月程度で「3ヵ月前に戻して!」と毎日心の中で泣き叫ぶようになった。人生でこんなに選択を後悔するようなことが訪れたのは初めてだった。


 今はさすがにあの頃から状況は大きく好転した。しかしもちろん車は運転できないし、当初の最大の目的であった人生のパートナーとも出会えていない。都会を去ってからも4年間もそれが果たされないとは思っていなかった。しかしこの願いは、都会にいた世界線なら、それは果たされていただろうか?

 ただ、この4年間で、以前よりだいぶ豊かになった。金銭面ではもうあまり心配がないくらいになった。ただ、車がない以上は地方都市では相変わらず人権がないかもしれない。やはり、人生のパートナーを得るためには、またこの地方都市を抜け出すしかないのだろうか。

 そんな最近も結局この曲すごくいいな、というのには出会う。体温機能がバグっていて冷え性が酷すぎて、冬が凄く嫌いなのに、この風景が凄く美しくてノスタルジックだなあ。曲もノスタルジックだなあ。

エナ、ディオ、トリア、テッセラ、ペンテ

テトラ(テッセラ)が何の数字か、思い出すのに少し時間がかかった。

テトラポットの足の数、テトラの元素の数、テッサロニケのニケの数。

テトラの次のペンテ。ペンタゴン。

ペンテコステという言葉がふと、何年振りかに思い出した。

そうしたら、ペンテコステは明日だったという話。

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