signatura rerum et vectorum
一説には、ホロスコープはその人の人生の時間軸そのものを示しているという話もあります。つまり、ホロスコープの円軌道において、ASCを生まれた時、DSCを死ぬ時だとして、そこに向かって上下の半分ずつの円周を描いていきます。
つまりASCが生まれた時でDSCが死ぬ時なので、1室/12室〜2室/11室〜3室/10室と人生の前半、4室/9室〜5室/8室〜6室/7室が人生の後半です。
ASCに良い星や良いアスペクトの星が集中していて、DSCに逆に悪い星や悪いアスペクトが集中していると、人生の前半が楽で、後半が大変みたいになってしまいます。
なので、そういう配置になっている人の場合、あまり聞きたくない説だと言えます。個人的に、人生でどの地点が一番楽だと嬉しいかと聞かれたら、やっぱり終盤が一番楽だと嬉しいので…まあ、そう思わない人も中にはいるのかな。
逆に、DSC近辺がよく、ASC近辺が悪い場合、人生後半のほうが良く、IC/MC付近が良い場合は、中盤が良いことになります。自分なんかの場合、ASC~IC/MCの円周軌道上にしか星がありません。DSCの付近には、一応カイロンとか小惑星まで範囲を広げれば、いろんな星があるし、恒星としてはシリウスなんかもありますが、メジャーな惑星は特に持っていないです。
なのでまあ、この説で言えば、自分のホロスコープは人生前半で良いことも悪いことも多くて波が多く、後半はそれがかなり平坦になる印象でした。まあ、後半戦がめんどくさそうな感じよりは、ずっといいです。
また、太陽期(25~35歳)に今自分は属していますが、自分は太陽が一番ハードアスペクトが多いので、ここを乗り切れればと思っています。
太陽の後は、火星期、木星期、土星期、天王星期、海王星期、冥王星期、自分にとっては、太陽ほどハードアスペクトな星はないのでいいかな、という感じで…。なので、その人によって、どの星がハードかで、どの期がハードか、というのが少しあるかもしれません。
ところで、ASCからDSCへ、という流れは、極めて哲学的です。なぜなら、生まれた時に自我(ASC)が発生し、死ぬ時には他者(DSC)が発生するわけです。ユダヤ神秘主義や、量子脳理論などの一部を思わせる。
ユダヤ神秘主義では、世界と私というのは、生と死で視点が入れ替わるものとして説明されることがあります。生は、私が世界を見る視点、死は、世界が私を見る視点。生の瞬間に他者が滅して自我となり、死の瞬間に自我が滅して他者になります。
意識は、分子生物学的に説明できるものなのか、そうでないか、もちろん議論に決着はなく、意識のハードプロブレムのままです。
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