多世界解釈上の反復横跳びと死への衝動
夢占いを見るのが結構好きで、場合によっては変な夢を見ると、その夢を見ている間ですら夢診断が楽しみだとか思っているくらいです。でも最近、本当に明晰夢を見なくなりました。あとは、東京に居た頃たまにあった、エアコンのところに女の子が浮いて居たりとか(かわいいので、全然怖くないです。)、そういうものも、東京からこちらへ移ってから、全然見なくなりました。
ただ、夢を見ると、なんというか夢診断のキーワードにひっかからないようなものが多くて、なかなか判断に困ります。これもまた、占いと一緒で、自分で判断するしかない領域になってくるのですね。今日も面白い夢を見ました。文面だけですが、残虐表現なので、閲覧注意なのでしょうか。
これ自体は、もう半年以上前に見てたようなmvですが。夢では、Cö shu nieのボーカルの女の人が部屋にいて「この人に殺されたいな〜」とか思ってたのに、違うおっさんが自分の足をメスで勝手に解体してきて筋肉が断層のミルクレープみたいに見えていて、「なにしとんねん!はよ縫えや」とかって言ったら3秒くらいで縫合してくれました(このおっさん、腕がめっちゃいいね)。この一連、切られても痛みとかは、もちろん全くありません。でもCö shu nieのボーカルの人にいろいろしてもらえなかったのが残念で仕方ないみたいな。足ケガするのは良くない暗示とか言われるんですが、なんか夢の本質と全然違う気がして。割と目が覚めてすぐ、フロイトの「反復強迫」と「死への衝動」のことが思い浮かびました。
トラウマをフラッシュバックする精神疾患なんかは、いわゆる「快楽原則」すなわち人間が無意識に快楽(ドーパミン等)を求め、その報酬系がひとつのゲーム理論みたいに、人間の行動を規定する、ということに反しているという話です。
トラウマのフラッシュバックは、防衛本能、ある種不安の機能と同じものとして説明され得るものです。不安によって慎重に行動することで、環境要因から身を守り生存確率を上げるための存在だと説明されるでしょう。
ただし、何かそういう「普通の説明」も、自分(生殖用の暗号と遺伝子の乗り物)対環境要因、およびゲーム理論的な詰将棋が知能のアルケー、という感じがしてしまう(全然うまく説明できている気がしない)のが、いわばワクにはめられるようで、変な感覚があるものです。
ある細胞には、死への衝動があり、ある細胞には、反復強迫があり、ある細胞には、生への衝動があるのかもしれませんが、人間は多数の違った視点が重なり統合した状態で、「私」という名を名乗ります。その意味では、まるで人間の生命、「私」そのものが、多世界解釈みたいだし、マンダラの図みたいですね。
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