thoughts of a dying atheist
ソシュール言語学の一番基礎として、ものすごく言語に関してアタリマエのことを改めてフランス語で定義した言葉に、「シニフィアンとシニフィエ」があります。簡単に言えば言葉には「表象」と「意味」があり、それぞれが独立しているという話です。
例えばリンゴとappleという言葉は、それを意味するものは一緒だけど発音が違います。ここで、シニフィアン(表象)は共通していないですが、シニフィエ(意味)は共通しています。
逆に、例えばどんな言葉でも、複数の人間同士で、使っている意味が違う場合もありますね。「スシ」とは日本語では魚の刺身とお米の食べ物ですが、フィンランド語で「スシ(susi)」は狼の意味です。ここではリンゴとappleの逆で、シニフィアン(表象)は共通しているが、シニフィエ(意味)は共通していません。
また、「テンキ」と言ったとき、「天気」「転機」の選択肢があります。ここでシニフィアンは(漢字を用いない限り)ひとつですが、シニフィエは、状況や相手によって変わります。そういうレベルの言葉もあります。
哲学的概念とかになると、そんなシニフィエがその人の知識や経験、実証的だと思っているもの、予測している未来、などによって、大きく変わってしまいます。
というのも、例えば
「知性(インテリジェンス)」これほど、シニフィエ(意味)を人間同士で共有できていない言葉はないな、と思ったところです。人によって、「知能が高い人」の定義なんて、全然違う。
つまり「知識量が多い」でも、社会的に認められていない場合、知能が高いと認識してもらえないし、また思想が社会的にラジカルすぎる傾向にある場合、そこに至るまで仮にものすごい貴重な人生経験と聖者のような修行を重ねて素晴らしい知識を研鑽したのだとしても、「賢い人」ではなく「狂った人」とみなされるかもしれません。まあ、これらは受け手側の問題かもしれませんが。
また、こちらのページのIQの高い人の定義のなかに「無神論者」というのがあります。実はこれも、「神」と言う言葉の意味の「範囲」によって、なんとでもとれるのが面白いところ。「無神論者」という言葉こそ、今までそれがどういう風に使われてきたのか、またはどんなアンチテーゼとして存在しているのか、知識量が問われそうです。
「神」というものの意味する範囲によっては、「無神論者」と言える人も「神を信じる人」になるのでは、と思ってしまうところです。
例えば、
こういう記事においては、世界はある種のシミュレーションのシステムである、という研究の話がなされていますが、このシステムを作った存在は「神」と言えるのか?
過去数千年、神と呼ばれてきた存在の定義においては、このシステムを作った存在や現象は、神の持つ定義と似ています。もしそれを神と呼ぶなら、こういう考え方をすること自体ですでに「無神論者」ではなくなります。
または、科学的な人が言っていることなら、歴史上・哲学史上「神」と呼ばれてきたものに特徴が近い話でも、「神」とみなされず、人によっては、そのくらいで「私は無神論者」と思っている場合もあるかもしれません。
こういった話において、「神」と呼ばれてきたものを単純に近現代科学と近現代実証主義・合理思想のアンチテーゼとしか考えられない場合、その人はニュースででてくるような「巨大宗教」しか知らないにすぎません。
すなわち、広く取れば「運動エネルギー」も「神」の定義に入ると思います。ギリシア哲学やインド哲学の文脈では、現代でいう「参拝」「ご利益」「教祖様」といった言葉から想像される「神」よりも、「量子」「素粒子」「量子もつれ」「エントロピー」とかの意味から想像される世界の産物として「神」という言葉が使われている場合も結構あります。
その意味においては、極端な話、「量子の世界・運動エネルギー・質量はこの世に存在しない」という人とかでなければ、「無神論者」と名乗ることはできません。
イスラム教徒が日本人が「無宗教である」と言うことに驚くと言いますが、それはイスラム教徒の「宗教」の意味する対象の範囲が広いからです。
神社に参拝し、パワースポットや占いが存在し、クリスマスにはしゃいだりしているのに、それを無宗教と言うのはちょっとおかしいというのももちろん、例えば「上司の言うことを聞く」「社会のレールというものが存在する」「勉強すれば、大学に受かる」「戦略的にやれば、成功する」「格差が存在する」それらもみんな、受けとり方を広くすれば、宗教としか言いようがないです。
もっとなんか広く、ギリシアやインド哲学の唯識的な思想みたいなものの極論からすれば、「この世界が存在する」「この世界を見ている」ことそのものが幻に対する盲信、すなわち宗教になってしまいます。
そしてまた、まあ場合によってはユダヤ神秘主義とかの方向性にも近くなると、「世界が存在する」という宗教を観測している私こそが「神」であり、「生=世界を主観的に見る状態、死=客観的に見るか」にすぎない…などと続いていくことになるでしょう。
宗教・神・知性、これほどシニフィエが不安定な存在はないですね。こういった言葉は、本当に知識量や経験の種類等に個人的定義が左右されそうです。どんなものも、解体していくと、本当に「空」になっていくものです。まあ、それ自体あんまり意味ないかもだけど。
無神論者、atheist、という言葉は、自分が10代の頃にはじめて好きになった洋楽のせいで、英単語をまだそんなに大して知らない頃でもすでに知っていました…それは中二病に他なりません。でもatheistという言葉は、システム英単語とか受験用単語帳には普通に乗ってはいますよね。
このアルバムは1曲目のapocalypse pleaseが本当に好きでした。本当はintroで軍隊の行進の靴の音のあとにこの曲が続くのですが、1曲目からこんな曲が飛んできたのが、凄い衝撃です。ジャケもすごくいい。当時、この2000年頃のmuseはレディオヘッドフォロワーとか言われて、radioheadに凄い影響を受けたといった感じで言われることが多かったですが、洋楽レビューサイトとかでは、「ラルクとか好きな人が、意外とはまると思う」と書かれていて、なるほどと思ったし、実際自分もそれでした。
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