パラディグマ

 現代でいうところの比較的ネガティブな意味の「宗教」という言葉の定義として、


・「自分が宗教といわれるものの中にいると気づいていない」

・「自分は正義のグループに属していて、それに対する悪のグループがあり、

  それを見つけ次第攻撃・排除すべきだと思っている」


 この両方が必要であると感じる。


 個人的には、現代でいういわゆるネガティブな意味での「宗教」と呼ばれないようなものでも、これらの要素があればネガティブな意味の「宗教」を持っていると感じるし、逆に現代に「宗教」と呼ばれるものでも、これらの要素を持ってないならネガティブさを正直あまり感じることがない。


 これでいえば、大学や格差発生装置的なもの(受験、偏差値、社会性のある趣味、年収、などなど)、派閥化された科学の一部がネガティブな宗教だし、逆に善悪二元論、「神に対するサタンや悪霊」「天使に対する悪魔」とか「真実に対する偽物」「○○人に対する○○人」のようなものが全くない宗教(それは少なくとも、巨大な組織や利益を尊重する組織では難しい)はネガティブな宗教ではない。


 受験やテストで、「正解と不正解」を教えられて育つ。それは「正解=真実=正義」「不正解=虚偽=悪」という宗教構造を持つ。「正解と不正解」はこの世の真実というよりも、人間の盲目的安心感のための強制思考停止である。そして正義と悪の生成は格差の生成につながるの格差を煽り、そこから誰かが利益を受けるためのものでしかない。


 その正義対悪の格差的宗教構造は、ずる賢い誰かが意図したというよりも、自然発生的に人間の無意識が格差というものも求め、自然とできあがる。人間の「幼年期」のようなものに、そういう「個体差」を求める欲求が激しく発生するからだ。そして、「幼年期」を少し過ぎた頃には、経済的利益を求める人たちが意図を隠しながら群がり「幼年期」のひとたちを煽っていく循環。


 正解の根拠を探すことも、不正解の根拠を探すこともできる。数学の問題で、何らかの整数がでたとして、それが問題の回答とあっていたとしよう。「それは10進数での話だと誰も言っていないでしょう?」とか問いかけるのはナンセンスで、そこですでに強制的に10進数を正義としてそれ以外の進数は全て悪とする無根拠な「論理の飛躍」があるとも言える。


 勉強する=正義みたいな盲目的な信仰もある。ただこの勉強という言葉の内容が、さまざまであり、ひとによって正直、周波数みたいなものが違うせいで、人によって「勉強、学問、学び」などを意味する言葉が何をさすかは、全く違う。人によっては、「勉強」という言葉が「盲目的に」「競争・格差をつくるため」の「宗教」そのものとしかいえないものをさしている場合もあるし、また人によっては同じ「勉強」という言葉に、全く「無自覚さ」「格差欲求・競争欲求」などの宗教性を感じないものを対象としている場合もある。


 この世に「正解も不正解もない」というのは、あなたの意見に対して何にでも反対してくるような人がいることからわかる。

 あなたにとって、不快感を感じさせる相手というのは、あなたが「Aは正しい」と言えば「Bが正しい」と発言し、あなたが「Bが正しい」と言えば「Aが正しい」と言って来るような相手のことだ。これはAかBのどちらかが真実であることにはもう関係なく、ただ真実と偽を作り出そうと必死になっているだけなのだ。

 あなたはここで「AだろうがBだろうが真実がない」とさとり、また、この相手のことを考える。相手に対しては、嫌悪感を覚えるし、なぜそのようなことをしてくるのかと考える。そのときに、ひとによってはカルマという言葉が浮かぶ。(このカルマという言葉は、宗教的だと排斥されることも多々ある。)


 カルマというものは感情に作用する。あなたは「AだろうがBだろうが真実がない」とわかっているのに、相手に反発したくなる。「Aが正しい」に対し「Bが正しい」と言われ、「Aの正しさ」を相手にわからせたくなる。これこそがカルマの作用である。実際、自分では答えがわかっているのに、答えと違うもののために必死になってしまう。


 カルマという言葉を通して、インド哲学や仏教がいいたいところは、例えば、A,B,Cとあって、答えがCだとわかっているのに、Aだと答えた時にBが正しいと言った人に対して、Aが正しいと説得する労力が必要ないということだ。その労力は、カルマという感情(アストラル)の自然現象のようなものだ。

 人間には、必ず「幼年期」がある。人間はどうしても「幼年期」が「自分を疑えない」し「格差・競争作成欲求」があって「宗教的」なので、カルマを生成してしまう。そして人間の生まれてから死ぬまでにも「幼年期」はあるが、それだけでなく、インド哲学がいうところの、個人の生と死を超えた個人、なんども輪廻転生を繰り返す主体の「魂」の過去生である「幼年期」のものかもしれない。

 しかし、この世は常にミクロコスモスとマクロコスモスの一致を伴うので、魂の「幼年期は」肉体の「幼年期」にも反映されるだろう。

ᚠᛚᚪᚵᛋ ᚠᛚᚪᛪ ᚠᛟᛞᛞᛖᚱ ᚠᚱᛁᚵ

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